この町で暮らすようになって、
1年と半分が過ぎた頃だった。
僕は30歳まであと数ヶ月で、
小説を書いてはいたけれど、
ものにはなっていなかった。
10月も半ばに入った頃、
遠くから友達が遊びに来ることになった。
僕よりふたつ歳下で、
北の風景を写真に撮りたいと言って、
北海道に移り住んだ友達だった。
僕はふらふらと生きていたし、
彼もまた、ふらふらと生きているように見えた。
でも、いつまでふらふらしているのかは、
自分達にもよくわかっていなかった。
友達が来るまでの時間を、
僕は久しぶりにのんびりと過ごした。
天気のいい秋の1日で、
窓を開けると、涼しい風が入ってきた。
レコードを何枚か聴いた。
確かセヴリン・ブラウンやスティーブ・イートンといった、
シンガソングライター達のレコードだ。
七分袖のTシャツを選んで着た。
元町にある友人の店のオリジナルで、
ヘイトアシュベリーの道路標識をパロッたデザインが、
なんだかいい加減な感じで、よかったのだ。
午後になる前に、僕は自転車をこいで、
海まで出かけていった。
すべてが止まったかのような、静かな海だった。
波打ち際を走る犬も、吠えたりしない。
浜辺に落ちている貝殻や、流れ着いた流木さえも、
あえてなにも語らず、じっとしているように見えた。
空の色や、海の青さも、どこか淡くて、
遠くのものが、一層遠くにあるように感じられた。
果たして、それらは遠のいたのだろうか?
それとも僕が、遠ざかったのだろうか?
目の前を、赤トンボの小さな群れが通り過ぎた。
高い空に大きな風が吹いていた。
刷毛でのばしたみたいな雲の上を、
ぽっかりと浮かんだ、小さな雲が、
ゆっくりと、交差していった。
もしもこんな時間が、
日常の中に溶け込んでいたならば、と僕は思った。
なにを目指すでもなく、
過去を悔いるでもなく、
ただ流れゆく「今」という時間の中に、
同化していくことができたなら、と思った。
暗闇が世界を包み、
僕の部屋にも灯りがともった頃に、
友達はやって来た。
彼が背負ってきたザックの中には、
コンパクトにまとめられた、衣服や歯ブラシなどと一緒に、
この1年あまりに撮りためた、
四季折々の北海道の写真が入っていた。
友達はそれらをもって、
都内の出版社をまわってきたところだった。
「どれもきれいだね」と僕が言うと、
「そうだね」と友達は言った。
そして「でも、駄目なんだってさ」とつづけた。
駄目ってことはないのに、と僕は思った。
そんなことを言ってはいけないのだと。
友達が、僕の書いた小説を読みたいと言った。
僕は一番短いやつを、彼に渡した。
友達はそれを読み終えると、
「こんな話、よく思いつくなぁ」と言ってくれた。
僕は嬉しかったけど、
でもやっぱり、
これじゃ駄目なんだと思っていた。
僕らは、夜が深く深く更けるまで、話しつづけた。
どうしたらこんなに話すことを思いつくのだろうというくらいに、
話はつきなかった。
でも、僕らの会話は、
まるで外堀と内堀を行ったり来たりするみたいに、
どこかまわりくどく、
一番話したいところには届いていなかった。
別になにかを避けていたわけじゃない。
ただ、うまく近づけなかったのだ。
翌日、目が覚めたのはお昼過ぎだった。
外では雨が降っていた。
「寒いな」と僕が言うと、
友達は「そうでもないさ」と言った。
僕は彼を駅のホームまで見送ると、
握手をして別れた。
結局、その雨は3日ほど降りつづいた。
そして、あがったときには、
またひとつ、秋が深まっていた。