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Sandfish Records Diary

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2月5日の藤沢北口(ケインズ)

まだお酒の味をよく知らなかった頃に、
僕が夢想するバーは、いつだって地下にあった。
古くて背の低いビルの中、
薄暗くて狭い階段をおりていく。
ディケンズの小説に出てくるような
いかにも重そうなドアをゆっくりと開ける。
ギィーッという骨が軋むような音がする。
店の中はタバコの煙で白んでいる。
マスターの顔に愛想はなく、
何人かの客が肩越しに僕を見やるだけだ。
床には割れた瓶がそのままになっている。
哀しい歌が聞こえてくる。
誰かがカウンターの隅で、静かに泣いている。
ちっぽけな世界のはきだめ。
破れざる者たちの寝床。
這いつくばった人生の縮図。
まだお酒の味を知らなかった子供頃、
僕がよく夢想したバーは、そんなところだった。

だけど、現実というのは得てして、
夢想していた世界とは随分と違うものだ。
今、僕の知ってるバーは地下ではなく
古いビルの2階にある。
薄暗くて狭い階段をのぼっていくと、
今の時代にはあまりそぐわないような
でも、確固とした音楽が聞こえてくる。
ここのマスターは誰にでも愛想がいいわけじゃないが、
僕が入って行くと、
「どうも」とか「いらっしゃい」とか、
それくらいは言ってくれる。
僕は彼のことを、秘かに信頼している。
だからここでは、他の店よりも、
少しだけ自由な気分で、
お酒を飲むことができるのだ。

初めてこの店を訪れたのは6年前のことだ。
カトリーナがニューオーリンズを襲った年だ。
あの夜、確か僕はウイスキーを何杯か飲んだのだ。
ネヴィル・ブラザーズが流れていた。
グレッグ・オールマンの話をしたのも覚えている。
店を出るとき、また来ようと思ったのも覚えてる。
それからも、臭くて美味い酒を飲みに、
そして、ちょっと偏屈で、少しだけ年下のそのマスターに会いたくて、
僕はたまにこの店を扉を開けている。

店の名前は「ケインズ」という。
東海道五十三次の6番目の宿場、
藤沢駅の北口、古ぼけたビルの2階、
並んだたくさんの酒瓶が、音楽に共鳴するような、
そんな店だ。

今、僕がこんな話をしているのにはワケがある。
今夜、僕は心をこめて「ケインズ」の10周年を祝う。
なぜなら、どんなことだって10年つづけるのは、
なかなか骨が折れることだと思うから。
結局のところ、10年とは、
もがきながら、たくさんのことをやり過ごしてきた
時間の積み重ねだ。
それを軽かったなんて、誰にも言わせない。
ただ息をして、食べて、飲んで、
こうして生きているだけでも、こんなに苦しいのだから。

でも、今夜はいつもとちょっとだけ違う夜だ。
素晴らしい夜だ。特別だ。
なにが素晴らしいかって、
それは僕らが今こうして、希望と可能性を胸に、
この店に集まっていることだ。
先のことなんて誰にもわからない。
わからないから、素晴らしい。
(わからないのが、素晴らしい。)
今夜、みんなの心をひとつにして、祝祭の音楽を奏でよう。
楽しもう。そして、お祝いをしよう。
もし手に楽器があるなら音を出そう。
知ってるメロディ見つけたら、口ずさもう。
手を叩いて、足を踏みならそう。
そして、いつもよりちょっとだけ
いいお酒を注文しようじゃないか。

今宵、僕らは「ケインズ」の10年を祝う。
祝いたいから祝う。そのために集まってる。
やらない理由なんてない。
いや、きっと僕らは、なにをやったって構わないのだ。
だって、先のことなんて、
誰にもわからないのだから。

(2011/2/5 「ケインズ」10周年イベントにて朗読)
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by sandfish2007 | 2011-02-06 13:27 | diary | Comments(0)
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