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Sandfish Records Diary

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今宵、死神通りで

藤沢駅の南口を降り、
歩いて少しいったところに、
いささか人通りの少なめな道がある。
実際には他の道とさほど差はないのだが、
どういうわけか、角を曲がってその道に入ると、
誰もが一種独特の空気を感じることになる。
その道のことを、いつしか人は、
「死神通り」と呼ぶようになった。

僕がこの通りにやってきたのは、
もう大分前のことだ。
明るい日差しが降り注ぐ午後の昼下がり。
僕のお目当ては、美味しいと巷で評判の
とある小さな店のタコライスだった。

その店を僕はすぐに見つけることができた。
店の入り口には、見慣れないスペルで、店名が書かれていた。
それがフランス語だと気づくのに、
少しの間が必要だった。
デリカテッセンとのことだったが、
ここではサンドウィッチが食べられる代わりに、
タコライスやソーキそばといった、
沖縄の料理が人気だという。

この店のマスターは、眼鏡をかけた細身の男で、
芸術的な雰囲気と、職人の気質を合わせ持ったような、
そんな印象を受けた。
どうやらここは、彼がひとりやっている店らしい。
店内ではヴァン・モリソンの歌が流れていた。
「ブラウン・アイド・ガール」。
最高の1曲だ。
「ヴァン・モリソン、好きなんですか?」
僕がそう訊ねると、
「いや、久しぶりに聴きたくなっただけです」
マスターはあっさりした口調に答えたから、
そこから話は続かなかった。

僕はタコライスとビールを注文した。
キッチンはオープンな作りだったので、
彼の手際のよさがよく伝わってきた。
そして、そのタコライスは、
僕が思っていた以上に、美味しいものだった。
お会計のとき、今度はマスターが僕に質問をしてきた。
「ヴァン・モリソン、好きなんですか?」
僕がそうだと答えると、彼は、
「夜もやってるんで、また来てください」と言った。

それから、僕は夜になって気が向くと、
死神通りにあるその店に足を運ぶようになった。

ある日のこと、店の扉を開けると、
マスター以外にもうひとり、
若い男がカウンターの中で働いていた。
少しいかれた感じで、調子のいい笑顔が魅力の、
かっこいい奴だった。
彼がいるだけで、店の雰囲気はぐっと明るくなった気がした。
いや、「くだけた」と言った方が正しいだろうか。
とにかく、なんというか、調子がいいのだ。
でも、マスターの手さばきを見るときの彼の目は真剣だった。
あれはなにかを覚えようとする目。
胸にある目的を秘めた男の目だった。

またある日の昼下がり、
死神通りを駅に向かって歩いていると、
マスターが自分で店内の改装工事をしていた。
彼は僕を見つけると、はにかんだ笑顔を見せた。
そして、「今度はスペイン酒場にしようと思って」と言った。
どうしてスペインなのか?と訊ねると、
彼はほんの少しだけ考えてから、
「なんかいいかなぁと思って」と言った。
やりたいからやる。いいなと思ったからやる。
この日も、死神通りに人はまばらだったが、
ここだけは、自由な風が吹いているような気がした。

そして、今日は「大人の文化祭」。
僕らはもう子供じゃないから、
お酒を呑んでも、タバコを吸っても、
無駄使いをしても、夜更かしをしても、
誰にもとがめられたりはしない。
そう、ここでは僕らもまた、自由になれるのだ。
死神通りは、今宵も人まばら。
でも、この店だけは、少し事情が違うようだ。
それはきっと、ここが特別な場所で、
死神さえも、つい微笑んでしまうからかもしれない。

今宵「ロケット・デリ」で会おう。
藤沢駅の南口を降り、歩いて少しいったところ。
死神通りのちょうど真ん中くらいにある、小さなスペイン酒場。
死神が優しく微笑むのその店で。

(2011.11.3 「大人の文化祭」@ロケット・デリにて朗読)
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by sandfish2007 | 2011-11-05 08:04 | diary | Comments(0)
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