ブログトップ

Sandfish Records Diary

sandfish.exblog.jp

AT THE FIVE SPOT

 嵐の夜が明けて、今は青空が覗いている。午前7時58分。僕は昨夜と同じように、エリック・ドルフィーのファイヴ・スポットでのライブ盤を聴いている。昨夜の嵐は窓の外を通り過ぎていき、この部屋には何かが取り残されたままだ。それはちょうど、この夜のエリック・ドルフィーやブッカ・リトルやマル・ウォルドンの演奏のようでもある。エネルギーは放射され、熱が充満し、何かを貫き、通り抜け、最後には消滅したり、置き去りにされたりする。

 僕がジャズを聴き始めたのは、20代の半ばを過ぎた頃だった。当時勤めていた会社の先輩諸氏に「何を聴いたらいいですか?」と訊ねると、とっつきやすそうなアルバムを何枚か教えてくれた。最初に気に入ったのは、レッド・ガーランドやソニー・クラークといったピアニストだった。それからリー・モーガンやクリフォード・ブラウンのようなトランペッターを好きになった。エリック・ドルフィーを聴いたのは、それよりもう少し後のことだ。彼の名前は前から知っていたし、このファイヴ・スポットでの2枚のライブ盤のことも、モダン・ジャズの名盤として認識はしていた。ただ、誰かから「ドルフィーを聴くのは、もう少し後にした方がいいかもね」と言われたので、そういうものなのかと思い、後まわしになったのだろう。実際、ジャケットを手に取ってみると、『Vol.2』にはA面とB面に1曲づつしか収録されておらず、どちらも20分近い演奏だった。インストというだけで集中力が切れてしまいがちだった当時の僕には、確かにハードルが高いように思えた。

 でも、聴いてみると、これがたまらなく良かったのだ。拡散するというよりは充満していく演奏なのだが、その分、熱が尋常じゃなかった。放射されたエネルギーは、狭いライヴ・ハウスの中を激しく行きかい、温度はどんどん上昇していった。聴き進むうちに、薄暗いジャズ・クラブの熱気や、燻し出されるようなタバコの煙が、目の前に浮かんでは消えていった。そして、レコードが終わったとき、なにかが通り抜け、何かが取り残されていた。

 すべてが通り過ぎていくことはないし、すべてが置き去りにされることもない。きっと、どんな事も、そうすっきりとはいかないのだろう。

 正直、それほど頻繁にターンテーブルにのせるアルバムではない。でも、ときどき聴きたくなる。特に昨日みたいな嵐の夜には、いいのかもしれない。
 
 MIYAI
[PR]
by sandfish2007 | 2013-04-07 08:51 | diary | Comments(0)
<< 60点から70点 いい作品に巡り合うということ >>