小雨降りしきる夜、横浜の港に隣接する会場までボブ・ディランを観に出かけた。そのライヴは僕の中にある懸念や不安を一掃するような素晴らしいものだった。
2010年の来日公演、9年振りに観たディランに僕は老いを感じた。歌もギターのフレーズも少しだけ入りが遅れてしまう。反射神経が鈍ったのだと思った。長年連れ添ったツアー・バンドが、そんなディランをうまくサポートしていたからそれほど目立たなかったかもしれないが、僕は気になった。
2014年の来日公演、ディランはギターを持つのをやめていた。キーボードは弾いたが、重要なフレーズを担うことはなく、歌のテンポをとるために鍵盤を叩いているように見えた。曲によっては楽器を持たずにマイク・スタンドの前に立った。その姿はどこかぎこちなかったけれど、歌が以前のような遅れることはなくなった。同時に、バンドの演奏も潤滑になった気がした。サウンドはより一層終末感を漂わすようになり、暗い照明の効果もあってリアリティを増していた。
ディランは老いという現実を受け入れ、それにアジャストする形でできることをやってみせている。僕はそこにアーティストとしての真摯さと、強靭な精神力を感じた。これはとても偉大なことで、ディランだからこそできるのだろうと思った。僕はディランへの尊敬を深めた。
しかし、ディランはそんな僕の認識を軽々と飛び越えてみせた。昨夜の演奏は未来へと開かれたものだったのだ。僕はいつしか自分がディランに対してある種の枠を作っていたことに気づいた。かつてのようには歌えないし弾けない。でも、その中でできることをディランはやっている。そこが凄いのだと、そんな風に考えていた。しかし、本当にそうだったのだろうか?
昨夜、枠は取り払われていた。ディランの頭上に天井はなく、夜空にたくさんの星が輝いているみたいだった。ディランは楽器を持たずにマイク・スタンドの前に立った。さりげなくとるポーズが決まっていた。年輪を重ねたヴォーカルが心に深く響いた。高齢になったディランの歌声に聴き惚れるなど、僕は想像さえしていなかった。ピアノを弾くときには、時折強く鍵盤を叩き、意識的にアクセントをつけていた。バンドとの一体感も素晴らしく、演奏から終末感は薄れていた。それは夜明けが近いことを僕に思わせた。
胸にふつふつと湧き出した感動は、終演後も収まらなかった。こんな生き方があるのか。ディランは75歳を目前にして、また新しい荒野へと踏み出していた。そのことはひとつの真実を僕に示唆しているように思えた。つまり、年齢は可能性を奪わない。音楽から、ディランから、また人生を学んだような気がした。会場の外に出ると、雨は上がっていた。海から吹く風が心地よかった。その風は夜空へと舞い上がり、どこまでも昇っていくようだった。