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Sandfish Records Diary

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DAVID BOWIE is

 デヴィッド・ボウイのキャリアを振り返る大回顧展『DAVID BOWIE is』。世界9都市を巡り大きな反響を呼んだこの展覧会が、没後1年が経とうとしている今年1月、ボウイの誕生日(1月8日)に合わせて日本でも開催される。一足早くその内覧会に行ってきた。

 14時30分に入場し、出口に着いたのは17時30分。正味3時間、デヴィッド・ボウイの湧きあがるような表現欲に、僕は圧倒されっぱなしだった。それでも読み切れなかった説明文はたくさんあるし、観切れなかった映像はいくつも残った。すべてを堪能するにはおそらく5時間は必要だし、それらを自分の中で整理し咀嚼するためには、何度か足を運ばねばならないのかもしれない。

 展示会場は、創造的なエネルギーの坩堝だった。音楽がボウイの表現の核であったのは間違いないが、彼の関心があらゆる方向に開かれていたことは、残された遺品を実際に目にするとよくわかる。その柔らかな感性が、どれだけボウイを自由にしていたのかも。一見無関係に思える展示物が、ボウイを触媒にして繋がっていた。それぞれの持つエネルギーが、放たれ、反射し、ぶつかり合い、融合し、また離れたりしながら、多角的な空間を生み出していた。これがボウイの宇宙なのかと僕は思った。自由であることが、これほどまでに人間を広くするのかと。そのことが僕にはなにより羨ましかった。

 今回のようなひとりのアーティストをテーマにした展示会は、通常だと時系列でその人の足跡をなぞっていくことが多い。しかし、『DAVID BOWIE is』は、表現者としてのボウイを軸に置いていた。ボウイの表現欲がどれほど自由であったかを見せることが、デヴィッド・ボウイという稀代のアーティストを伝えるのにもっとも有効であると考えたのかもしれない。もしそうだとしたら、大正解だったと思う。

 僕はデヴィッド・ボウイのキャリアに精通しているわけではないので、例えば展示された衣装がいつのツアーで使われた物か等は、説明文を読まないとわからない。しかし、それでもまったく問題なかった。それらの衣装から立ちのぼる華やかでどぎつく峻烈なイメージが、そうした知識の助けを必要としないのだ。独自の魅力を放ち、眺めているだけで楽しかった。そして、そのことが逆説的にボウイの多面性を僕らに語りかけてくるのだ。果たしてボウイ以外にこのような展示会は可能なのだろうか?

 『DAVID BOWIE is』は、ボウイの生前にスタートしたので、当初は彼の死に関する展示や説明はなかった。今回の日本での開催では、そのことも追加され、結果としてボウイの人生というひとつの円を完成させる役割を担っている。また、日本独自のコーナーを設けることで、一時期は京都で暮らすなど日本との関わりが深かったボウイを偲ぶことができるのもよかったと思う。

 とにかくすごいボリュームなので、まだ自分の中でも心の整理がついていないのだが、デヴィッド・ボウイという革新的なアーティストにふさわしい展覧会なのは間違いない。ぜひたくさんの人達にも体験してほしい。
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by sandfish2007 | 2017-01-07 14:19 | diary | Comments(0)
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