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Sandfish Records Diary

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Wrecking Ball

 鉄鋼の町で育った
 ニュージャージーの湿地帯
 もう記憶が霞んでしまうくらい昔のことだ
 泥とビール 
 血と歓声の中で
 多くのチャンピオンが生まれては去っていくのを観て来た
 ミスター、もし君にガッツがあるなら
 そう、もし君に度胸があるなら
 今こそ自分の出番だと思うなら
 さぁ、位置について
 君の鉄球を振り下ろすんだ
 
 君の鉄球を振り下ろせ
 君の鉄球を振り下ろせ
 君の最高の一打がどれほどのものか
 僕に見せてくれよ
 君の鉄球を振り下ろすんだ
 
 『レッキング・ボール』の7曲目となるこのタイトル・チューンで、スプリングスティーンはアルバムの主題が何かを示そうとしている。それはオープニング・ナンバーで繰り返し歌われた「we take care of our own(僕らは互いに支え合う)」というフレーズを、より具体的なイメージで描き出したものと言えるかもしれない。
 元々は3年前、スプリングスティーンの地元ニュージャージーにあるジャイアンツ・スタジアムが取り壊される際に書かれた曲だが、このアルバムの中では、そうした曲の成り立ちに大きな意味はない。それよりも遥かに広いイメージをこの曲は担っている。アルバムはここまで、永遠の闇とも思える厳しい現実を歌ってきた。それらを跳ね返し、傷ついた心を高揚させ、すべてを飛び越え、違う世界へと連れて行くことができるパワーをもったナンバーとして、この“Wrecking Ball”は用意されている。おそらく、この歌の主人公は架空の人物ではなく、スプリングスティーン自身だろう。フィクションの世界から離れ、自分がいる本当の場所から、厳しい現実に苦しむ人達に向けて歌いかけているのだ。

 さぁ、グラスを上げて、
 大きな声を聞かせてくれ
 今宵、死者達も皆ここに集まっている
 さぁ、君の鉄球を振り下ろすんだ

 ここで歌われる「死者」とは、かつて同じような想いを共有し、傷つき倒れていった人々のことだ。彼らはもうこの世にはいない。しかし、脈々とつづく人生の輪は、そんな彼らと現在の僕らを結びつけ、未来へとつづいていく。大きな川のように、その流れが途絶えることはない。

 明日になれば
 ここに何も残ってないことくらいわかってる
 だから、しっかりと怒りを持ちつづけるんだ
 しっかりと怒りを持ちつづけるんだ
 しっかりと怒りを持ちつづけるんだ
 怖じ気づかないでくれ

 スプリングスティーンは歌う。鋼鉄の建物も、数々の物語も、いずれはすべて朽ち果てていく。若さも美しさも塵にまみれてしまう。かつての小さな勝利や栄光は忘れ去られる。胸に抱いた大切な希望や願いは、風の中で散り散りになる。では、なぜ怒りを持ちつづけるべきなのか?スプリングスティーンは、このアルバムで幾度となく語ってきたことを、ここで再び歌いはじめる。

 厳しい時代がやって来ては、また去って行き
 厳しい時代がやって来ては、また去って行き
 厳しい時代がやって来ては、また去って行き
 厳しい時代がやって来ては、また去って行き
 厳しい時代がやって来ては、また去って行き
 そして、またやって来る

 これが現実であり歴史だ。だからこそ、僕らは怖じ気づくわけにはいかないのだ。勇気をもって、位置について、最高の一打を振り下ろすのだ。曲の終盤、スプリングスティーンのカウントを合図に、バンドは一気に加速する。ホーンが高らかに鳴り響き、コーラス隊が大きな声をあげる。ギター、ベース、キーボード、ドラム、バイオリン…、音楽が一丸となって躍動する様は、まるで空から希望の光が降り注いでくるかのようだ。僕らの体は持ち上げられ、心はどこまでも高く舞い上がっていく。

 君の鉄球を振り下ろせ
 君の鉄球を振り下ろせ
 君の最高の一打がどれほどのものか
 僕に見せてくれよ
 君の鉄球を振り下ろすんだ

 言うまでもなく、これは怒りの鉄球じゃない。未来を切り開いていくための一撃だ。そして、どうか忘れないでほしい。僕らはけっしてひとりではないのだと。そう、僕らは互いに支え合うのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-31 06:49 | diary | Comments(0)

This Depression

 ベイビー、今までにも落ち込んだことはあるが
 こんなに打ちひしがれたことはない
 今までにも、どうしたらよいのかわからなくなったことはあるが
 これほど途方に暮れたことはない

 告白するよ
 僕には君の優しさが必要だ
 こんなどん底なとき
 僕には君の暖かな心が必要なんだ

 ブルース・スプリングスティーンの新作『レッキング・ボール』は、6曲目の“This Depression”で、悲しみの底へと辿り着く。この歌が語りかけてくるのは、暗い影に心を支配されることの恐ろしさだ。途方もない徒労感が気力を奪い、可能性は失われ、希望の光は見えない。シンセサイザーのひんやりした響き、深いエコーをかけたドラムの音が、暗く蒼い海の底へと沈んでいくようなサウンドを作り出している。
 圧倒的な悲しみ。とてもひとりでは耐えられそうにない。しかし、この歌の主人公には、愛する人がいる。家族だろうか。恋人だろうか。すべてを失った今も、その人は彼のそばにいる。そのおかげで、彼はどうにか正気を保つことができている。絶望の一歩手前で立ち止まり、朝の光が射し込むのを待っている。スペイシーなトム・モレノのエレクトリック・ギターが、そんな男の浮かび上がろうとする心を、もがくようなトーンで描き出す。男はその人に言う。「I need your heart」。ここでは「僕には君の暖かな心が必要なんだ」としたけれど、彼が必要としているのは、その人の存在そのものだろう。

 いつも強かったとは言わないが
 これほど自分を弱いと思ったことはない
 すべての祈りは報われず
 ずっと愛にも縁がなかった
 でも、見捨てられたわけじゃない
 今、朝の光が、
 夜が明けようとしている

 そして、彼の心にも光は射し込むことになる。アルバムは、長く暗いトンネルを抜け、かすかな光に向かって歩み出すのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-30 11:40 | diary | Comments(0)

Death to My Hometown

 そうさ、大砲の弾が飛び交ったわけじゃない
 ライフルが俺たちを打ち倒したわけじゃない
 空から爆弾を落ちてきたわけじゃない
 血が大地を覆ったわけじゃない 
 炸裂した火薬に目がくらんだわけじゃない
 恐ろしい轟音が響き渡ったわけじゃない
 でも、まるで神の手の仕業のように、確実に、
 奴らは俺の故郷の町に死をもたらした
 奴らは俺の故郷の町に死をもたらした

 ブルース・スプリングスティーン『レッキング・ボール』の5曲目“Death to My Hometown”は、巨大なシステムとそれに組みする者への怒りに満ち満ちている。表だってなにかが起きたわけじゃない。銃を突きつけられたわけじゃないし、刃物で切りつけられたわけでもない。しかし、奴らは確かにやってきたのだ。まるで何ひとつ悪いことなどしていないような顔をして、こちらに反撃のチャンスも与えぬまま、獲物を確実に死へと追いやる獣ように、冷酷な目をもって、狡猾に、用意周到に、奴らはこの町にやって来たのだ。表だってなにかが起きたわけじゃない。闇が大きすぎて誰が悪いのかも、正直なところ、はっきりしない。でも、致命傷だったのは間違いない。目の前に広がる景色を見れば、それは明らかなこと。故郷の町は死んでしまったのだ。

 奴らは俺たちの家庭、工場を破壊し、
 俺たちの家を奪った
 奴らは俺たちの体だけをこの荒野に取り残し、
 禿鷲たちに俺たちの骨を突つかせた

 歌が、1年前からつづくこの国の現実と重なり、激しく共鳴しているのを感じる。力強いバスドラムが、イントロから響く。サンプリングされた賑やかな合唱、手拍子、ティン・ホイッスルの音色が、挫けそうな心を奮い立たせる。アイリッシュ・ミュージックの持つ悲しくも勇ましい調べが、目を背けようとする者を叱咤する。怒りは頂点に達し、気持ちを押さえることができない。大きな声をあげずにはいられなくなる。

 だから、よく聞いてくれ、若いの
 奴らが来るのに備えるんだ
 朝には必ず陽が昇るのと同じように、
 奴らはまたやって来るはずだ
 今こそ自分で歌うべき歌を手に入れ
 最後まで歌いつづけるんだ
 激しく歌うんだ、高らかに歌うんだ
 悪徳資本家をまっすぐ地獄へ送ってやるんだ
 欲深い盗人達はやって来ては
 目についたすべての肉を喰らい尽くす
 なのに、奴らは罪に問われることもないまま
 今も自由に通りを歩いている

 スプリングスティーンが、これほど直接的に怒りをぶつけることは本当に珍しい。この歌を、彼が誰に向かって歌っているかははっきりしている。僕は思うのだけど、人の心に寄り添うということは、時に激しい痛みを彼らに代って吐き出すことでもあるのだ。当事者とは違う立場から、強い意識と意図をもって、それを直接的な怒りとして叩きつけるのだ。そこにリスクが生まれる。初めてリスクを共有することになる。そうした激しさがなければ、擬似的なリアリティさえ生まれない。残念ながら、生まれないと思うのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-29 17:59 | diary | Comments(0)

Jack of All Trades

 お前の芝を刈ってあげるよ
 排水溝にたまった落ち葉もきれいにするよ
 雨漏りしないように、屋根の修理もするよ
 神が与えてくれる仕事はなんでもやる
 俺は何でも屋
 ダーリン、うまくやっていけるよ 

 ブルース・スプリングスティーン『レッキング・ボール』の4曲目“Jack of All Trades”は、美しい歌だ。ピアノが全体のトーンを支配し、ホーンが寂しげな音色で響く。スプリングスティーンのヴォーカルは、過酷な現実を受け入れると決めた男の静かな決意と諦観を滲ませる。なにが彼にそう思わせたのか?それは人間がくり返してきた業の歴史だ。
 
 銀行家はますます太り
 労働者は痩せていくばかり
 それは前にも起こったことだし、これからも起こること
 また同じことが起こる ああ、奴らはそう確信してる
 俺は何でも屋
 ダーリン、うまくやっていけるよ

 アメリカの不況も、日本の地震と津波も、歴史を紐解けば、これまでに幾度となくくり返されてきたことがわかる。そして、それは原発事故とて同じことだ。このままつづければ、いつかまた起こるだろう。それでも僕らは生きていくしかない。タイトルである「jack of all trades」というフレーズは、通常だとすぐ後に「and master of none」とつづく。多芸は無芸、器用貧乏、といった意味のことわざで、男は自分のことをそう称しているのだ。生きるためになんだってやるよ。なんだってできるよ…と。そして、傷ついた心を癒しながら、生きていくための希望を見いだそうとしている。

 青空が割れたとき
 ハリケーンが吹き、激しい雨を降らせた
 これからは世界が変わる気がする
 イエスの教えのように
 みんなでお互いを支え合うようになるかもしれない
 俺は何でも屋
 ダーリン、うまくやっていけるよ

 しかし、封印された怒りが消えることはない。「もし俺に銃があったなら」と男は歌う。「俺はあの酷い奴らを見つけだし、その場で撃ち殺すだろう」と。その押さえた感情は、曲の最後に用意されたトム・モレロの素晴らしいエレクトリック・ギター・ソロによって解放される。けれど、それは多くの人の涙を思わせる。流すことさえできずにいる涙を思わせる。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-28 07:40 | diary | Comments(2)

Shackled and Drawn

 シャツについた汗の感じがずっと大好きだった
 若いの、引っ込んでるんだ
 大の男に仕事をさせてくれ
 大の男に仕事をさせろ、こんなことは間違ってる
 今朝目を覚ますと、手足を縛られ、やせ衰えていた
 
 ギャンブラーはサイコロを転がし
 労働者は金を支払う
 銀行家の丘は、今も裕福で羽振りがいい
 銀行家の丘で、パーティーはますます盛況だ
 俺達はその丘のずっと下の方にいる
 手足を縛られ、やせ衰えて
 
 手足を縛られやせ衰えて、手足を縛られやせ衰えて
 若いの、石を拾って、持っていくんだ 
 歌を唄う他に哀れな男になにができる
 今朝目を覚ますと、手足を縛られやせ衰えていた

 ブルース・スプリングスティーン『レッキング・ボール』の3曲目“Shackled and Drawn”は、仕事を失った初老の男の歌だ。彼にまだ働けるだけの気力や血気さがあることは、スプリングスティーンの熱っぽいヴォーカルから伝わってくる。彼にも長年従事していた仕事があった。それをなにかの事情で奪われた。仕事を失うことは尊厳を傷つける。わずかな求人は若者にもっていかれてしまう。そんな若者達を疎ましく感じている自分に気づき惨めになる。賭博場には彼のような男達が集まり、人生の勝負をし、なけなしの金をむしり取られていく。丘の上を見れば、いい暮らしをしてる奴らがいるのは明白だ。それなのに自分は働くことさえできない。これを正しいというのか?まっとうに働いて人並みの生活をすることが、そんなに求めてはいけないことなのか?日々やることがなく、必要とされる場所もない。がんじがらめでどん詰まり。歌はこんな風にはじまる。

 灰色の朝の光がカーテンの隙間から射し込む
 1日だけ歳をとり、墓へと近づく
 墓へ近づき、夜が明ける
 今朝目を覚ますと、手足を縛られやせ衰えている
 
 曲調も歌詞の内容も、さながら古いフォーク・ソングのようで、演奏にも労働歌のような力強さがある。バスドラムが手拍子を促し、コーラスが共に声を上げようと求めてくる。そして、曲の最後にリン・コリンズの“Me and My Baby Got Our Own Thing Going”の一節がサンプリングされて流れてくる。「Come on everybody to stand up and be counted tonight.(今夜、恐れることなく自分の意見や信念を叫ぼう)」。それに呼応するようにスプリングスティーンが雄叫びのような声を上げる。この瞬間がもっとも重要で、もっとも美しい。哀れな男に歌を唄う以外に一体なにができるというのか?いや、彼にはできることがたくさんあるはずなのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-26 07:56 | diary | Comments(0)

Easy Money

 どうってことないよ、ミスター
 君の世界がすべて崩れ落ちようが
 音ひとつしないさ
 そして、あの太った連中は、それを滑稽に思うだけだ
 これから僕は町へ行き、あぶく銭をさがす

 僕は38口径のスミス&ウェッソンを持っている
 腹の中は煮えくり返っている
 そして、僕には約束がある
 向こう岸で、あのまぶしいほどに明るい場所で
 人と会う約束がある
 これから僕は町へ行き、あぶく銭をさがす
 
 この歌の主人公は、今まさに足を踏み外そうとしている。拳銃を持って悪銭を稼ぎにいこうというのだから、おそらくまともな仕事じゃないだろう。男は職を失ったのかもしれない。日々の生活も苦しい。だからといって、彼が怠けて生きてきたとは限らない。「なにか」が彼の人生に起きたのだ。そして、それは避けられない種類のものだった。以来、まともに生きたくても、それが許されなくなってしまった。でも、太った奴らはそんな彼の人生など気にとめない。手を差し伸べようとはしない。だから、彼は一線を超える決心をしたのだ。重たいバスドラムの音が、男の背中を押す。フィドルが、男の最後の力を絞り出そうとする。ブルース・スプリングスティーン『レッキング・ボール』の2曲目“Easy Money”はそんな歌だ。テーマは、誰が彼を追いつめたのか。そして、誰もがいつ「彼」になるかわからないということ。だから、足を踏み外さないよう慎重にならないと。でも、腹の中は煮えくり返ったままだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-25 18:18 | diary | Comments(0)

We Take Care of Our Own

 目はどこにある、見ようとしてる目は
 慈悲に溢れた心はどこにある
 僕を見捨てなかった愛はどこにある
 この手と魂を解放してくれる仕事はどこにある
 僕を支配しうるはずの精神はどこにある
 海から輝ける海へという、あの約束はどこへいった
 海から輝ける海へという、あの約束はどこへいった

 どこで旗がはためいていようと
 どこで旗がはためいていようと
 どこで旗がはためいていようと
 僕らは自分達で支え合う
 僕らは自分達で支え合う
 旗がどこではためいていようと
 僕らは自分達で支え合う

 これは意図的な叱咤の歌だ。素晴らしい新作『レッキング・ボール』のオープニング・ナンバーである“We Take Care of Our Own”において、ブルース・スプリングスティーンは聴く者の心に波風を立てようとしている。僕は詳しくないのだけど、繰り返し歌われる「we take care of our own」という言い回しは、アメリカでは様々な解釈をされがちなフレーズらしい。ここでは「僕らは自分達で支え合う」と訳しているけれど、もっと直訳すれば「自分の面倒は自分でみる」となる。つまり、「貧しい人達は自分で自分の面倒をみれてないだけだ」という逆接的な見方にも繋がっていくのだという。また「wherever this flag's flown(どこで旗がはためいていようと)」というフレーズも、短絡的な愛国歌のイメージを換気しかねない。かつて、“Born in the U.S.A.”でひどい誤解のされ方をしたスプリングスティーンが、そうしたフレーズをタイトルにし、サビで繰り返し歌うことで、再び誤解の矢面に立たされる危険性があることは、本人も十分理解していたと思う。しかし、今回はむしろスプリングスティーン自身がそこを逆に利用したような向きさえ感じられる。実際、この曲は発表と同時にアメリカでは物議を醸し、ポップ・ソングという枠を超えニュースとして取り扱われた。曲調はアルバムの中で最もロック的であり、近年のスプリングスティーンらしいメロディをもったものだ。そうした親しみやすさも、人の興味を惹きつけるには必要だったのかもしれない。そして、具体的な事例として歌われているのは、ニューオーリンズを襲ったカトリーナの悲劇と、その後の支援を満足に行わなかった政府の失策だ。

 シカゴからニューオーリンズまで
 筋肉から骨まで
 掘っ建て小屋からスーパードームまで
 誰もなにもしてくれなかった
 騎兵隊は出動しなかった
 誰もラッパの音を聴かなかった

 僕らは自分達で支え合う
 僕らは自分達で支え合う
 旗がどこではためいていようと
 僕らは自分達で支え合う

 スプリングスティーンは、これまでも自分の信条を秀逸な物語に昇華し、表現してきた。しかし、ここまではっきりと言い切るようにして歌うことは、むしろ珍しい。この曲から伝わってくるのは、強い決意、覚悟、誤解を恐れない勇気だ。アルバムのオープニングで、スプリングスティーンは僕らの正面に立ち、投げかけている。今のままでいいのかと問いかけている。その問いに対する彼の答えは、アルバムが進むにつれ大きな川となり、徐々に明確になっていく。そして、この「we take care of our own」というフレーズの本当の意味へと立ち返っていくことになる。いわばこの歌は招待状であり、ひとつの答えでもあるのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-24 07:39 | diary | Comments(0)

Wrecking Ball

 昨夜からずっと心の奥が震えている。ブルース・スプリングスティーンの『レッキング・ボール』を聴いたからだ。その覚悟に、勇気に、英知に、表現者としての技量の深さに、僕はただただ圧倒されたのだ。

 サウンドの道筋こそは、この10年間でスプリングスティーンが取り組んできた芳醇なルーツ・ミュージックに、独自のロックを融合させたものと言える。個人的には、いわゆるEストリート・バンド的な音よりも、こちらの方が今のスプリングスティーンにとって自然な音なのだと思う。彼が語ろうとしていることを表現するには、自らを歴史の中に置いて、その一部として同化させる必要がきっとあるのだろう。
 しかし、昨夜聴いた音楽は、そんな僕の曖昧な想定や予想を大きく上回るものだった。すべての歌が、想像を遥かに超えて広かった。時間軸的な広がりにおいても、立地的な広がりにおいても、心情的な広がりにおいても、巨大で、まるで怒りと祈りと祝祭が渾然一体となって押し寄せてくるようだった。聴き進むにつれ、僕は言いようもない気持ちにかられた。叫び出したいのに、言葉は見つからず、泣きたいのに泣く事もできなかった。しかし、力強かった。明らかに。間違いなく。それは希望と勇気が僕の心をノックしたからだった。

 これは今のスプリングスティーンだからこそ作り得た作品だと思う。アメリカの深刻な不況、僕らにとっては震災と津波と原発。一握りの人間が今も利権をむさぼり、誰一人として起きたことへの説明責任を果たそうとしない。そうした厳しい時代の現実に対する深い洞察と、老練にして純粋な魂が、強烈な説得力を伴って、今の時代と激しくリンクしている。
 ロックン・ロールが時代を映し出す鏡としての役目を担っていたのは、もう随分前のことだ。そのロックやフォークが、この時代においてこれほどの意味と力を持ちうるのだということに、僕は正直驚いている。だから、今は少し混乱しているのかもしれない。混乱しながら震えている。暗闇の中に希望の灯を見つけたときのように、心の奥が清々しく震えている。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-23 07:51 | diary | Comments(0)

すっとんで帰るんだ

 なにやら春一番が吹かなかったんだそうで。吹かれても花粉がぶんぶん飛んで大変だけど、吹かないと吹かないで「それでいいのん?」と思ったりもする。なんだろね。

 昨日の日記に書いたとあるコンピにイーサ・デイヴィスの曲が収録される話。今回はすぐに本人と連絡が取れたので、すんなりと事が運びそう。よかったよかった。最近なにかとずっこけ気味だったので、たまにはいいことないとね。

 今日は大好きなブルース・スプリングスティーンの新作『レッキング・ボール』の日本盤の発売日。世界14カ国で初登場第一位。スプリングスティーンにとっては10枚目の全米ナンバーワン・アルバムで、これはエルヴィスと並んで歴代3位なんだとか。そのうちの5枚はこの10年間で獲得したんだとか。日本にいるとうまく想像できない。すごい温度差だ。うちのCDもこれくらい売れてくんないかな。…売れないよなぁ。あり得ないあり得ない。

 アルバムの評判も上々のようで、新曲はその解釈が物議を醸し、本国では一般のニュースとして報道されたそうな。清志郎の「君が代」みたいだな。おそらく、僕はこのアルバムを、震災と原発事故、そして被災地のことを重ねて聴くことになると思う。きっとそうなる気がする。早く聴きたいな。どきどきする。

 今日はアルバイトが終わったら、すっとんで帰ってくるんだ。『レッキング・ボール』が僕の帰りを待っているはずだから。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-21 07:53 | diary | Comments(2)

わいわい

 春分の日なり。つまり、明日からは夜より昼間の方が長くなると。暗い時間よりも明るい時間が長くなると。とても嬉しい。やんややんや。さらに祝日だから、アルバイトもいつもより1時間短い。わいわい。

 で、今朝は嬉しいメールが届いてた。イーサ・デイヴィスの楽曲をコンピに使わせてほしいというオファーだった。昨年末にもいただいたのだが、イーサとの連絡のすれ違いによりお流れになったもの。でも、ま、今回は大丈夫でしょう(多分)。このコンピレーションで彼女の歌を知るきっかけになってくれたらと願っている。詳細は後日。

 では、アルバイトへいってきます。今日はいつもより1時間短い。わいわい。
 
 MIYAI
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by sandfish2007 | 2012-03-20 07:50 | diary | Comments(0)