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Sandfish Records Diary

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Hartford Cafe

 新宿三丁目の音楽バー「ハートフォード・カフェ」が本日をもって閉店する。アメリカン・ルーツ・ミュージックを軸としながらも、ジャンルの罠に囚われることなく、古いものから現在進行形のものまで、この店でかかる音楽は実に幅広かった。うちのことも応援してくれて、一時はサンドフィッシュのコーナーがあったことも。不義理でなかなか顔を出せなかったが、このお店がなくなることを今とても淋しく思っている。

 月曜日、友人を誘って久しぶりに店の扉を開けた。そこはいつも通りの「ハートフォード・カフェ」だった。マスターの洋平さんがかけるレコードは新旧様々だが、時代の壁を超えて、どれもお店に馴染んでいた。スフィアン・スティーヴンス、マイケル・スタンリー、ハングリー・チャック、・・・等々。カウンターは閉店を惜しむ馴染みのお客さんで埋まっていた。何人かと挨拶し、友人と音楽の話をしながらお酒を呑んだ。マスターが何度かレコード・ジャケットを僕に手渡した。またひとついい音楽を教えてもらうことができた。

 並べられた酒瓶、煙草の煙、壁にかけられた楽器、たくさんのレコードやCD、マスターの仕草、ここにあるすべてに音楽が沁み込んでいる。ずっと前からここにあって、これからもありつづけるように見える。でも、今日でそれもお仕舞いなのだ。なんだか不思議な気分になる。(注:1日だけアンコール営業があるとのこと)

 「ハートフォード・カフェ」は、きっとたくさんの人達の心に残りつづけるのだろう。良質な音楽の記憶のように。それは、やっぱり、素敵なことなのだ。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-31 09:57 | diary | Comments(0)

しゃべる詩人の会

 心穏やかな朝。昨夜の夕食にハンバーグを食べたからか、窓からの富士山がきれいだからか、アルバイトがいつもより1時間遅い出勤だからか、ガイ・クラークの『オールドNo.1』が流れているからか、まぁ、理由はわからないけど、理由なんてどうでもよかったりもする。いい朝だ。コーヒーが美味い。あとでコーン・スープも飲もう。

 日曜日は、地元の音楽スタジオ『太陽ぬ荘』へ。5つの部屋で同時にライヴをやろうという主旨のイベントで、つまり部屋を開けるとそこでは誰かが演奏しているというわけだ。僕らは仲間4人とリーディングで参加。まず冒頭にジム・モリソンの詩の朗読を流してから、順番で自作の文章やら詩を読んでいった。先陣は僕で、「扉」にまつわるふたつの文章を書いていった(昨日の日記はそのうちのひとつ)。バックにマイルズ・デイヴィスを流しながら読んだ(えせビートニク風)。2番手はマンスリーDJイベント「Voices Inside」で印象的なリーディングを披露している二見潤。自身が住む自動車工場の町とモーター・シティ=デトロイトを重ね合わせ、得意の文章と音楽を交互に聞かせるスタイル。3番手は馴染みの音楽バー「ケインズ」のマスター=ゲンちゃん。今回は「ブルース」をテーマに4篇。最初と最後にカントリー・ブルースを配し、いつもの硬派な語り口。最後は酒屋兼詩人の高橋くん。上半身裸になってのノン・ストップ・リーディングはさすがで、思わず聞き入ってしまった。お客さんはほとんどいなかったので、なんだか自習みたいなリハみたいな感じだったけど、まぁ、リーディングを1時間つづけて聞くというのは、それはそれで大変なことだ。ただ、こういうリーディングに特化した試みは初めてだったから、僕は楽しかったし、参加してくれた3人はそれぞれの個性を発揮してくれて、どれも素晴らしかった。僕は彼らのようには書けないし読めないから、少しうらやましくもあった。

 その夜は、あちこちでイベントが行われていた。馴染みのバー「ロケット・デリ」でのヤク&リトル・キヨシのライヴを観ながらお疲れ様の乾杯をし、その後は「ケインズ」ヘ。この夜はちょっと珍しいくらい面白いメンバーがカウンターを埋めたので、わいわいがやがやと話は盛り上がり、帰りたくなくなり、そのまま呑みつづけ、最後は少しうとうとして、酔っ払ったまま朝を迎えた。話したことの半分くらいは忘れてしまった。それはきっとその場で思いついたことをしゃべってるからで、最初から口に出すほどの意味も深みもないからだろう。でも、そういう無駄が生きていくには必要だし、酒場というのは、そんな無駄をすることが許される場所なのかもしれない。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-30 08:09 | diary | Comments(0)

バックドア・マン

僕はバックドア・マン。
僕の存在に気づく者は誰もいない。
でも、存在はしている。
そのことに意味があるかどうかなど問題じゃない。
僕は今ここにいる。
それが真理だ。

バックドア・マンの1日は夕方から始まる。
家の裏口から出て、
5分ほど歩いたところにある
公園のベンチに腰をかける。
そしてコートのポケットに入れておいた
缶コーヒーを時間をかけて飲む。
すべてのバックドア・マンが
例外なく行う無感動な儀式のようなものだ。
そして、コーヒーを飲み終えると、
ベンチから立ち上がり、
無数に散らばった悲しみを拾い集める。
蒼い悲しみや、ささくれた憂いなどをだ。
それが僕らの唯一の仕事なのだ。

その日も僕は夕方に家の裏口を出て、
いつもの公園へと出かけた。
ベンチで缶コーヒーを飲み終え、
立ち上がろうとしたとき、
ひとりの少女が声をかけてきた。
「あなた、バックドア・マンでしょ?」
不意をつかれた僕は、慌ててしまい、
手に持っていた缶コーヒーを落とした。
バックドア・マンが誰かに声をかけられるなんて、
まったく、あり得ないことなのだ。
少女は僕のことをじっと見つめていた。
深い色の瞳をもった少女だった。
「いかにも。バックドア・マンですよ」
僕がそう答えると、
少女はその印象的な瞳を大きく見開いた。
彼女の安堵が僕に伝わってきた。
僕はますます混乱した。
なぜなら、バックドア・マンを見て安堵するなんて、
まったく、あり得ないことだからだ。

僕はどうしたらよいのかわからず、
もう一度ベンチに座り直した。
少女は僕の隣に腰を下し、話しはじめた。
「お父さんがいなくなる前に言ってたの。
バックドア・マンをさがしなさいって。
公園のベンチにいるはずだからって」
僕にはその意味がわからず、少女に訊ねた。
「どうしてお父さんはそんなことを言ったのだろう?」
少女は小さく首を傾げると、
「よくわからないの」と言った。
そして、すぐにこうつづけた。
「でも、ちゃんと会えたわ。
これからはずっと一緒にいてくれるでしょ?」
僕は手に持った缶コーヒーを、もう一度落とすことになった。
なにを言い出すのだろう。
そんなことできるわけない。
僕はバックドア・マンだ。
バックドア・マンにはバックドア・マンとしての、
やるべきこともあれば、
やるべきでないこともある。
バックドア・マンが誰かと一緒にいるなんて、
しかも、それが幼い少女だなんて、
まったく、あり得ないことなのだ。

夕焼けは少しづつその輝きを失い、
もう少しで夜の帳がおりようとしていた。
少女と僕は、まるでつがいのように、
ベンチに並んで座っていた。
もう今日は帰るしかなさそうだった。
蒼い悲しみや、ささくれた憂いは、
また明日拾い集めにこよう。
小さな風が吹いて、足もとの枯れ葉を舞い上がらせた。
ふわりと浮いたまま数メートル移動し、
薄闇の中へと消えていった。
「申し訳ないんだけど」
僕は正面を見据えたまま口を開いた。
「君と一緒にいることはできないんだよ。
昔からの決まりというか、
僕にはどうすることもできないことなんだ。
わかるよね?
もう行かなくちゃ。
君も気をつけて帰るんだよ」。
僕はそう言ってから少女のことを見た。
彼女は明らかにショックを受けていた。
瞳の色がみるみるうちに変化していくのを、
僕ははっきりと見てとることができた。
そこに映っていたのは悲しみだった。
それも、これまでに見たことがないほどの、
深い深い悲しみだった。
少女の中で、今この瞬間、
なにかが終わりを迎えたことを、僕は悟った。
僕は、彼女の足元に散らばった
無数の悲しみのカケラ達を拾い集め、
コートのポケットにしまった。
顔を上げたときには、もう少女の姿はなかった。
夜の闇の中で、何かがうごめいた気はしたけど、
それも定かではない。
どうせ風のいたずらだ。
きっとそうに違いない。

僕はバックドア・マン。
僕の存在に気づく者は誰もいない。
でも、たまには例外もある。
あのとき、僕は残酷だったのか?
わからない。
ただ、ひとつ言えることは、
突き詰めてしまえば、どんな真理も味気ないということだ。
少女は去り、僕は残された。
ただそれだけのことなのだ。

(2013.1.27 「Festa Del Sol Vol.3」@太陽ぬ荘スタジオにて朗読)
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by sandfish2007 | 2013-01-29 06:45 | diary | Comments(0)

躊躇

 昨夜はアルバイトの先の新年会だった。この職場にお世話になってもう4年以上たつのだが、こういう飲みに顔を出すのは初めてだった。そんなわけで、不慣れなもので、なにをどうしたらいいのかわからない。ひとりで小さな店へ呑みに行くのと、こういう飲み会では、なにもかもが違うように思える。ひとまずビールを呑んで、末席でみんなの話や笑い声を聞いていた。なごやかな雰囲気だったし、食べ放題・飲み放題だったし、いくつか面白い話も聞けた。僕はそんな輪の周りをうろつき、出たり入ったりしていた。もしまたこういう機会があれば、今度はもう少し馴染めたりするのだろう。そうなればいいなと思う。

 今朝は快晴。台所の窓から見える富士山が、冬らしい透明な陽射しに照らされて、いつもよりくっきりとその山肌をあらわにしている。すぐそこではマラソン大会が開催されていて、僕の友人も数名参加しているはずだ。応援にいこうと思っていたのだけど、なぜか躊躇してしまった。昨夜から僕は躊躇ばかりしているような気がする。

 今夜は、藤沢南口の音楽スタジオ「太陽ぬ荘」のイベントに参加する。仲間4人で自作の文章や詩をリーディングする。今はそのための文章を書いているところ。やるなら意味のあるものにしたいので、がんばって書いてるところ。がんばろう。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-27 10:26 | diary | Comments(0)

The Nylon Curtain

 随分の昔のことになるけれど、僕らの世代(というか僕の周囲では)中学にあがると洋楽を聴くようになるのが、割と普通の流れだった。・・・なんて書くだけでも隔世の感があるけれど、もう30年ほど前の話なのだから実際に隔世なわけで、それもまた当然なのだろう。

 みんなそれぞれに贔屓のアーティストをもっていたが、ビリー・ジョエルを悪く言う友達は、僕が記憶する限りひとりもいなかった。ビリーの音楽は、僕らみんなにとって共通した意味をもっていた。それは、洋楽の入り口。新しい世界への扉だった。

 これが僕より5つくらい年上になると事情は違うだろうし、5つ年下でもやはり違ってくるだろう。あくまでも、僕らにとってはそうだったということだ。

 当時の最新アルバムは『ナイロン・カーテン』。稀代のメロディ・メーカーというビリーのパブリック・イメージからすると、少々シリアスな印象をもったアルバムで、次に出た『イノセント・マン』ほどは人気がなかった気がする。僕も特にお気に入りの1枚というわけじゃなかった。

 『ナイロン・カーテン』は、アルバム全体がひんやりとしたヴェールをまとっていて、どこかとっつきにくいところがあった。しかし、そのヴェールがこのアルバムの鮮度を保っているようにも思える。じわじわと浸透し、心の中に独特の熱を残していく。違和感。今では一番ターンテーブルにのせる機会の多いビリーのアルバムだったりする。

 アルバムの最後で、オーケストラは姿を消してしまう。ミュージカルの途中に。人知れず。誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのか。無人の客席を前にステージのカーテンが降りてくる。オーケストラは何処へいったのか?そんな歌でアルバムは締めくくられる。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-26 07:32 | diary | Comments(0)

久しぶりに都内へ

 昨日は3ヶ月ぶりに仕事で都内へ。といっても、さしたる用事があったわけではなく、取引のあるお店に顔を出して遅い新年の挨拶したくらい。先日、イギリスのHMVが倒産したこともあって、一緒にCD屋さん(及び音楽業界)の現状を憂いてみたり、それでもなんとかやってきましょうと希望を語り合ったり、せっかくなんで新譜をいろいろ試聴したりしてたら、あっという間に夜になった。

 友人(というか先輩)が僕の誕生日を祝ってくれるというので、ほいほいと待ち合わせ場所へ急ぐ。連れていってくれたのは、芋汁とビーフシチューが美味しいと評判のお店。なんとも贅沢なコース料理をご馳走になり、嬉しいプレゼントまでいただいた。どうもありがとうございます。この夜は、いつもの音楽話の他に、ちょっと真面目な話もした。震災や原発。実名報道のこと等。僕らの考えは、時に似てたり似てなかったりしたけど、お互いを理解しようとする空気がちゃんとあったから、安心して話をすることができ、有意義な時間となった。

 最後は知り合いの音楽バーにちょっとだけ顔を出す。数年ぶりだったので、マスターに「少しふっくらしました?」と言われる。ええ、まぁ。ここでもお祝いにと秩父のウイスキーをご馳走してくれた。お店は今年の夏で10周年だという。素晴らしい。改めてお祝いに来よう。

 最近すっかり足が遠のいている都内だけど、たまにはこうして出かけることも大事だなと感じた夜だった。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-25 08:04 | diary | Comments(0)

なんだかなんだか

 日曜日の夜、地元のイベントに仲間とリーディングで参加する。ときどきやっているみたいに、自作の文章を読むだけなんだけど、なかなか準備が進んでいない。枠は1時間で、最初は僕ひとりでやる予定だった。でも、さすがに厳しいなぁと思い、仲間を誘って、ひとり15分の持ち時間にしたのだが、ひとつ書き上げて読んでみたところ、5分で終わってしまった。むーん・・・。あとひとつかふたつ書かないと。

 さて、何を書こう?なんも思い浮かばないので、とりあえずストーンズの『ブラック&ブルー』を聴きながら、いただきものの文明堂のカステラを食べている。ふむ、美味い。

 美味いといえば、最近、豆乳鍋を初めて食べた。僕は豆という豆にあまりいい印象を持っていないのだが、まぁ、豆乳は原形をとどめてるわけじゃないしいいかなと。で、食べたら美味しかったと。なんでもひとつの理屈(豆は気のりしない)だけで判断しない方がいいんだなと思ったのだった。ちなみに、文明堂のカステラは昔から好きだった。だから、つい2切食べてしまい、今はお腹がもたれている。

 今朝の教訓:好きなものこそ油断は禁物だ。

 さて、なんか書かないと。何を書こう?なんだかなんだか・・・。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-24 09:36 | diary | Comments(0)

先のことを考えたってしょうがない

 僕は古いロックが好きで、今でも一番よく聴くのは60年代から70年代半ばくらいまでの作品が多い。ただ、そういうのしか聴かないというのもなんだかつまらなくて、まぁ現在進行形のレーベルをやっているというのもあるのだけど、自分の許容範囲内であれこれと手を伸ばしては音楽を楽しんでいる。

 ロックを聴くようになって30年以上がたった。僕が聴き始めた頃、ロックは若者が好む音楽の代表だった。ロックを聴くという行為自体がなんとなくかっこよかったし、かっこつけで「ロックン・ロール」という言葉を使う人もけっこういた気がする。その頃から僕はリアルタイムな音楽よりも、10年前とか20年前の音楽の方が好きだった。初めて聴いたときからすごく新鮮に感じたし、少しも古いとは思わなかった。

 で、今もその頃の音楽を好んで聴き続けている。ただ、時間がたったことで、それらは40年前や50年前のものとなり、今ではそれらを古い音楽なんだなと感じるようになった。自分は古い音楽が好きなのだなと。

 若者がストーンズやボブ・ディランに夢中になることは今でもあるだろう。でも、そんなに多くないような気がするし、少ない方が自然だと思う。いつの時代にも若者が必要とする音楽はあるはずだし、あった方が幸せだという気がする。今は時代そのものがここまで多様化しているので、夢中になる音楽が必ずしもリアルタイムなものである必要はないと思うが、ただそれが40年前とか50年前の音楽ということになると、ちょっと行きすぎかなぁと思わないでもない。

 30歳の頃、ものにならない小説を書いていたとき、僕は同世代の人達に向けて物語を書こうと考えていた。それが一番自然で正直なやり方に思えたからだった。今はレーベルをやっていて、幅広い世代の人達にうちの音楽を届けたいと思っている。しかし、ティーンエイジャーや、僕よりずっと年配の人達が、サンドフィッシュ・レコードの作品に強い興味を示してくれることを、うまく想像できないでいるのも事実だ。そうであればいいなと願っているだけだ。そして、もしレーベルを長くつづけることができたとした場合、60歳とか70歳になった僕が紹介する音楽を、果たして若い人達は聴いてくれるのだろうか。それでも僕は幅広い世代の人達に喜んでもらいたいと思えるのだろうか。どうなんだろう?

 以前、バーでこんな話をしたら、「先のことを考えたってしょうがない。ミュージシャンは先のことなんか考えない」と友人に言われた。なるほど。確かにそうなのかもしれない。先のことを考えたり、過去と今を比べたりするから、わからなくなるのだ。僕らは変化の中を生きている。今この瞬間を生きている。だから、信じることをやればいい。それは、確かに、その通りなのだと思う。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-22 06:37 | diary | Comments(0)

そのとき、お袋はエビマヨを食べようと言った

 年末、正月、誕生日とつづいて、呑んだり食べたりする機会が多い今日この頃。普段からなにかにつけ呑んでるわけだけど、その回数が増えると疲労もたまる。でも、今年はどういうわけか数年ぶりに体調が良くて、なんとかリカバーできてる感じだ。体が軽いと気持ちも明るくなって、やる気も出てくる。やっぱり健康第一だなと思うのだ。

 …なんてことを10年前は考えもしなかった。まぁ、いいんだけど。

 昨日は実家へ顔を出してきた。お袋の誕生日も最近だったし、花とケーキを買っていったら、とても喜んでくれた。「あなたが43歳なんて信じられないわね」とお袋が僕に言ったけど、お袋が71歳だなんて、それこそ信じられない。それはきっと一緒に暮らしていた頃の記憶が強いからだろう。僕の中では、お袋は今も40代のままだったりもするし、もしかするとお袋にとっては、僕は今もどこか10代のままなのかもしれない。

 近所に美味しい中華屋さんがあって、夜は、お袋、親父、妻と4人でそこへ食べに出かけた。おめでたいからとコース料理を注文し、お袋が食べたいというエビマヨを追加し、ビールを呑んだ。僕は満腹になるまで食べ、いつものように腹を下した。美味いものをたらふく食べると、僕の体はびっくりしてしまう。馴れていないのだ。

 親父とお袋は、70歳を越えた今も僕を気にかけ、なにかと心配してくれている。それはありがたいことであり、申し訳ないことでもある。こうして元気に食事をしたり、話をしたり、どこかへ出かけたりできる日も、いつかは必ず終わりを迎えるときがくる。それはきっとまだ先の事だし、できればずっと先であればいいなとは思うけど、もしそうなったとしても、みんなが穏やかな気持ちでいれたらいいなと思うのだ。

 …なんてことを10年前は考えもしなかった。まぁ、いいんだけど。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2013-01-21 08:37 | diary | Comments(0)

I Got the Blues

 凄いブルースをたくさん聴いた夜だった。SP盤という78回転のアナログ・レコードは、当時のオリジナル・フォーム。そんなものをどっさり持ってる人がいること自体すごい話だが、飛び出してくる音の生々しさは僕が持っているレコード(45回転と33回転)やCDとは比較のしようもなく、思考回路をショートさせるに十分な凶暴性をもっていた。まさに衝撃的。落ち着きが失われ、胸のざわめきを止めることができない。僕が昨夜聴いたのは、そんな音楽だった。

 中にはテープさえ存在しなかった時代の録音もあった。つまり、生演奏をレコード盤へ直に録音していくダイレクト・カッティング。やり直しはきかない。しかし、古いSP盤から聴こえてきた演奏は、どれも図太く、大胆不敵で、逆境をものともしないたくましさと、押さえられないほどの情熱で溢れ返っていた。

 もし10代の若者がこの演奏を聴いたらどう思うのだろう?ひょっとしたら人生が変わってしまうのではないか?そんなことを想像したのは、僕がもう若者ではなく、もうこの音楽で人生が大きく変わることもないからだが、一夜明けても僕の頭はショートしたままだし、胸は波のように静かなざわめきをつづけている。

 ブルースの素晴らしさに触れた夜。それは音楽が心に直接届いたときだけに感じることのできる喜びに溢れていた。

 MIYAI

 (2013.1.19 バー・ケインズ「Voices Inside」にて)
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by sandfish2007 | 2013-01-20 10:17 | diary | Comments(0)