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Sandfish Records Diary

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今年も半分

 今日で今年も折り返し。2015年の上半期、僕は45歳になり、ポール・マッカートニーが日本にやって来た。嬉しかったこと、悲しかったこと、観たライヴ、読んだ本、話したこと、えとせとらえとせとら。丁寧に振り返ってみると、ちゃんと半年がたったんだなと思えた。

 もっとできたと思うのは間違っている。こんなものだし、下半期はもっとできるようになれたらいいなと思う。

 夏至の日から、うちの真横で道路工事が始まった。詳しい説明もないままなので推測でしかないが、見た感じだと文字通りうちの真横に2車線のバイパスを作っているっぽい。この小さな集落の真ん中にそうした大きな道が通るのは、やはり違和感がある。しかし、こういうことは今に始まったわけではなく、地方を旅してみると、もっと激しい違和感をあちこちで目にすることになる。例えば、きれいな里山に囲まれた田んぼの真ん中に、巨大な発電塔がそびえ立ち、常時ビリビリと音を発している。すぐ近くに堅牢な門に閉ざされた要塞のような建物がたっていて、その下で稲作が行われている。事情を察する前に、「どうしてこんなことになったんだ?」という疑問がまず浮かんでくる。異様な光景なのだ。

 大切なのは学んでいるかどうかだと思う。学んでいれば、そこに希望があり可能性が生まれる。では、もし何も学んでいなかったとしたら?過ちが繰り返されるだけだ。
 
 下半期もいろいろあることだろう。継続される不安もあるが、できることなら何かを学び、前へ進んでいきたい。そして、楽しいことや嬉しいことが、たくさん増えますように。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-30 07:25 | diary | Comments(0)

積み重ねる

 おそらく性格的なものだと思うのだけど、僕はしみじみした音楽を好む傾向がある。明るすぎず暗すぎず。スローとミディアム・テンポの中間くらい。一緒に歌って盛り上がってもいいし、じっくり聴いてもいいが、どちらかと言えばひとりで聴くのに向いている。攻撃的というよりは友好的。革新的というよりは伝統的。刺激的というよりは調和的。多少退屈かもしれないが信頼感はある。どうもそういう音楽に惹かれることが多い。で、おそらく、これは音楽に限った話ではないのだろう。

 自分の好きなこと・得意なことをして生きていくことが、とても重要なのだと思ってこれまでやってきたし、今もそう思っている。実はそれがなかなか難しいのも経験則として知っているが、自分の本当の人生の生きるためには、そうするしか道がないと僕は頑なに信じているところがある。これも10代の頃から変わらないので、やはり、性格的なものだろう。好きなことが生きることである限り、人として安定するし、どんな状況でも自分を見失うことはない。そうありたいし、そうなりたいと思っている。

 音楽は映し鏡だから、3分間の曲の中に自分の姿を見ることがある。時には美化されたり卑下していることもあるけど、それもまた僕なのだろう。音楽を聴くことで、意図せず自分自身を確認する。自分が自分であることを知る。たまにそんなときがある。

 文章にも人となりが出る。ただ、こちらは自分ではなかなか気づかない。人の文章を読んでいてそう思うから、きっと自分もそうなのかなと思うくらいだ。ミュージシャンは自分の作った曲を聴くと、どう感じるのだろうか。よく自分の古い作品は聴かないという話を耳にするけど、その気持ちはなんとなくわかる気がする。多分、落ち着かないのだと思う。

 結局、生きることは積み重ねなのだと思う。できることなら、納得のいく自分を積み重ねていきたい。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-29 08:00 | diary | Comments(0)

AZUMI

 これまでプロアマ問わず数えきれないほどの弾き語りライヴを観てきた。その多くは退屈だったり、いたって普通だったり、そこそこ楽しい程度だったりしたが、極たまに素晴らしい演奏に心うち震えることもあった。その中でも間違いなくベストのひとつだったと言えるのが(もしかするとベストだったのが)、2年前の夏に観たAZUMIさんのライヴだった。

 2年前のライヴの感想:悲しい夜は自由になれる

 歌と演奏が高い技術とミュージシャンシップに裏打ちされているのは当然のこと。AZUMIさんの歌は、自らの人生を元手にしている。若い頃に傷ついた無垢な魂には今もかさぶたが残っていて、めくれば血が流れるだろう。AZUMIさんは人生を開け放つようにして歌う。その表現力の深さ、優しさには、ただ圧倒されるばかりだ。

 昨夜、久しぶりにAZUMIさんのライヴを観た。若き才能あるシンガーソングライターであるところのヤクが、悲しさをたたえるような素晴らしい歌声を聴かせてくれた後、AZUMIさんはギターを手に取り、歌い始めた。それはやはり圧倒的な演奏だった。歌とギターが一体となり、AZUMIさんそのものとなって、さざ波のように、ときに荒波のように、押し寄せては引き返していった。そして、砂浜に模様を刻むように、僕の心に消しがたい何かを残していった。

 アコースティック・ギター1本と歌だけで、人はここまで自分を、そしてその向こう側の世界を表現できてしまうのだ。そのことをAZUMIさんは証明している。終演後、2年前のライヴ音源を聴いた。カウンターの誰もが黙り込み、時折笑みを浮かべながら、20分に渡る曲に聴き入った。それは本物の音楽の力だった。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-28 10:32 | diary | Comments(0)

もう安心だ

 雨の中を自転車で走り出した数分後、「パンッ!」という大きな音がした。僕は誰かが撃たれたのかと思った。しかし、周囲を見渡しても誰も倒れていなかった。その代わり(と言ってはなんだが)、僕の自転車の後輪がパンクしていた。家までは徒歩50分の距離。自転車を置いていくことも考えたが、傘を持っていないことを思い出し、そのまま押して帰ることにした。

 歩き出すと雨は小降りになった。「ツイてる」と思った。この日はちょうど体幹がバキバキだったので、歩いて体を整えるにはちょうどよかった。「タイミングがいい」と思った。しばらく歩いて暑くなったところで雨足が強くなり、ほてった体を冷やしてくれた。「ツイてる」と思った。なかなか開かない踏切を待っている間、自分が「アイ・ライク・ショパン」を口ずさんでいることに気づいて赤面したが、幸い周りには誰もいなかった。「ツイてる」と思った。家に近づくにつれ、雨はどんどん激しくなっていった。そろそろシャレにならないなと思い始めたところで、同情した妻が傘を持って迎えに来てくれた。家に着くと風呂がわかしてあった。雨に濡れた後の風呂は最高だった。風呂から上がるとビールと食事が用意されていた。雨に濡れた後の風呂上がりのビールは格別で、「いい日だったな」と思った。

 今日は歩いて出かける。だからパンクはしない。「もう安心だ」と思っている。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-27 06:53 | diary | Comments(0)

ECM

 ECMというドイツのレーベルがある。作品は主にノルウェーのスタジオで録音され、ざっくり言うと、空間を大切にした静謐な作風が特徴だ。代表的な所属アーティストは、キース・ジャレット、ビル・フリゼール、等々。

 友達の治療師がこのレーベルに精通していて、ときどきECMレコードの作品を集めたDJをやっている。昨夜はその3回目ということで、僕も馴染みのバーまで聴きに出かけた。店の扉を開けると、カウンターはお客さんでほぼ埋まっていた。友人は一番端の席にいて、前にDJの機材が置かれ、隣りには大量のECMのCDが積み上げられていた。ちなみに、ECMのジャケットは淡い風景であることが多い。

 僕は反対側の一番端の席に座った。友人の作曲家、お菓子屋の若旦那も来ていた。ほどよくリバーブの効いた曲がつづく。演奏は深く潜ることなく、緊張感とくつろぎの間を浮遊するように響いていた。途中、作曲家によるギターの生演奏もあった。できるだけ手数を減らし、少ない音を互いに共鳴させようとしているのが伝わってきた。その演奏もまた静謐で空間的なものだった。

 日頃接する機会の少ない音楽を聴くのは楽しく、僕はいつもと違うお酒を注文することにした。ぶどうとサクランボのカクテルを1杯づつ呑んだ。どちらもよく冷えており、初夏の夜らしい爽やかな味がした。時折、別の友人がECMとは無関係の僕にも耳馴染みのある曲をかけた。そういうときは、いつものウイスキーが呑みたくなった。

 今は、届いたばかりのリリース候補作を聴いている。センスがいいし、楽曲も魅力的だ。もっと聴き込んでみよう。近日中にもう1枚届く予定。ECMとサンドフィッシュ。共通点はなさそうだけど、どちらもいい音楽であれば、それでいい。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-25 10:43 | diary | Comments(0)

ワンダフル・ワールド

 6月2日以来となるベイスターズの勝利に酔った夜。待望の筒香のホームランも飛び出し(こちらもほぼ1ヶ月ぶり)、僕らは夏の花火のように夜空へと高く舞い上がり、はじけたのだった。これでセ・リーグは全チーム貯金なし。首位から最下位まで2.5ゲーム差。ほとんど仕切り直したと言っていい。もし今日、巨人と阪神が負けたら、全チームが借金生活になる。そうなったら珍事だな(ちょっと期待)。

 というわけで、昨夜は勝利の美酒がくいくいとすすみ、スポーツニュースをチェックした後は、先日の海ジャケ大会から出しっ放しのレコードをあれこれと聴いた。最後にターンテーブルにのせたのは、アート・ガーファンクルの名作『ウォーター・マーク』だった。

 A面が終わってレコードをひっくり返すと流れてくるのが「ワンダフル・ワールド」。サム・クックのカヴァーで、アートは朋友ポール・サイモンと最近新作をリリースしたばかりのジェームス・テイラーと一緒に歌っている。トータル感をもったこのアルバムの中では少し浮いているかなと思っていたのだけど、昨夜はしみじみいい曲だなと思った。

 歴史も生物学も科学の本も専攻しているフランス語もよくわからないけど、あなたを愛していることは知っているし、もしあなたも僕を愛してくれるなら、世界はなんて素晴らしいのだろう。地理も三角法も代数も計算尺を何に使うのかもよくわからないけど、1たす1が2なのは知っているし、もしその1があなただったなら、世界はなんて素晴らしいのだろう。

 そんなシンプルだけど気の利いた恋の歌だ。ベイスターズの勝利とお酒の酔いもあって、僕はぽかぽかした気持ちでこの歌をアートとポールとジェームスと一緒に口ずさんだ。歌の中の学生の恋が成就することを願い、もしうまくいかなかったとしても、彼にとって世界が素晴らしい場所であればいいなと願いながら。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-24 07:20 | diary | Comments(0)

夏至だった

 昨日は夏至だった。僕が住んでいる地域だと、午前4時30分頃に陽はのぼり、午後7時頃に沈んだ。どういうわけか、僕はひどく眠くて、いつもより大分寝坊をした。やっと頭がすっきりしてきたのでジョギングをし、簡易的なロコモコを作って、ビールと一緒に食べた。するとまた眠くなった。ベランダに椅子を出して本を読んでみたが、その眠気が去ることはなかった。風が少し冷たかったので居間に戻り、ソファーに寝転んだ。手近にあった毛布にくるまると、そのまま寝てしまった。目が覚めたのは17時30分頃だったが、外はまだまだ明るかった。そうか、今日は夏至なんだな、と思った。

 失敗気味のカルボナーラ風パスタを作り、ビールと一緒に食べた。それから夜の散歩に出かけた。ちょうど陽が沈んだばかりで、空にはまだ昼の青さが残っていた。くっきりと浮かんだ三日月が美しかった。午前中に走ったジョギング・コースを僕らは歩いた。空は次第に暗くなり、家に戻る頃には夜の帳が落ちていた。三日月は自らの光のせいで、さっきよりもぼやけて見えた。

 僕はソファーに寝転び、妻は床に寝転んだ。僕はビーチ・ボーイズの『サーファー・ガール』をターンテーブルにのせ、とある人気作家の短編を読んだ。妻は『週刊ベースボール』を読んだ。ビーチ・ボーイズの後は、ザ・バンドの『南十字星』、リクオさんの『ホーボー・ハウス』とつづいた。僕が短編をテーブルに置くと、妻が手にとって読み始めた。おおむね時間はゆっくりと流れ、僕らの気持ちも穏やかだった。何かを思いつくと、話しかけたり、話しかけられたりしながら、そんな時間を楽しんでいた。

 妻が先に寝室へ行ってからも、僕はしばらくソファーに寝転んでいた。次第に後頭部あたりにあった眠気がもくもくと膨れあがり、僕を包み込んでいった。最後にもう1枚だけレコードを聴いた。少し靄のかかったようなサウンドと朴訥な歌声が、眠気でかすかに痺れた体に心地よかった。夏至の夜が終わり、僕の1日も静かに終わろうとしていた。ベッドにもぐりこみ、「今日はずっと眠かった気がするな」などと考えているうちに、ぷつりと記憶が途絶えた。

 そして今こうして朝を迎えている。まだ少し眠たい。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-23 07:18 | diary | Comments(2)

いろんな声を聞きたい

 日曜日の朝。味噌汁と卵かけご飯と海苔と沢庵とお茶。賞味期限を2日過ぎたヨーグルトにマーマレード。コーヒーとヨックモック。ウィーピーズ、ジェイソン・ムラーズ、キャット・スティーヴンス、エミリアナ・トリーニ。まだ少し眠い。まどろみ気味な日曜日の朝。

 昨夜は月イチの茶飲みコーナー「サンドフィッシュ・カフェ」の収録でレディオ湘南へ(※放送は6月27日(土)21時)。最近注目を集めている学生中心の反安保法制デモについて、いつもの3人で語らい、曲はサリー・ドゥワースキーの「ブレイキング」をオンエアした。僕も、パーソナリティーのはっとくんも、鎌倉小川軒のチュウソンも、彼らのデモを支持している。それぞれの世代にイデオロギーを超えた肌感覚としてのメッセージがあると思う。リアリティをもった言葉。僕はそれを聞きたい。

 収録後は、月イチDJイベント「Voices Inside」を聴きに馴染みのバー「ケインズ」へ。この夜はジェームス・ブラウンとファンク・ミュージックの特集。最近店に設置されたスピーカーはパワフルで、いくらかピーキーな性質をもっていた。とりわけエレキ・ギターの音は、増幅されているのではないかと思うくらい強い存在感を放っていた。僕は一番音がいい席に座って、極上のファンクに体を揺らしながら、ウイスキーを呑んだ。本当は最後まで聴いていたかったけど、財布がからっぽになったので、午前2時に店を出た。手持ちのお金がないと、途中のコンビニに寄り道しないで済む。なんでも使い切ることは大事だなと思った。

 ペイパー・カイツ、マーブル・サウンズ、ニコ、エリック・ハッチンソン、ニック・ドレイク。今朝ずっとアコースティックな音を聴いているのは、別に昨夜の反動などではなくて、世界には様々な美しい音楽があるからに他ならない。すべては共存している。僕はいろんな声を聞きたいし、僕の声も聞いてほしい。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-21 10:23 | diary | Comments(0)

傘ジャケとか

 雨上がりの清々しい朝。「雨上がりね…」と、ガブリエル・アプリンの『イングリッシュ・レイン』をかけ、英国土産のチョコチップ・クッキーをかじっている。甘い。でも、今朝はその甘さが心地よい。コーヒーと一緒に。

 これは雨上がりジャケ。もしかすると小雨が降っているかもしれないが、少なくとも傘ジャケではある。傘を持ったガブリエルはとてもかわいらしく、こういうジャケを見ると、ヴィジュアルはとても大切だなと改めて思う。彼女のことを知らない人も、ふと手に取るであろうことが容易に想像できる。出逢いのきっかけになるし、音がそのジャケのイメージを一層広げるものであれば、作品は聴き手に強い印象を残すことになる。うまくいけば愛聴盤になるかもしれないし、そうでなくとも、時折思い出しては耳を傾けてもらえるかもしれない。

 そんな作品をいつもさがしている。なかなか難しいけど。

 「傘ジャケって他になにがあったかな?」と考えて、ぱっと思いついたのがニール・ヤングの『オン・ザ・ビーチ』だった。でも、あそこに写っているのはパラソルなので、果たして傘ジャケと言っていいものかは疑問だ。あれはやっぱり海ジャケに分類されるべきだろう(分類する必要もないけど)。僕はこのアルバムを持っていない。20年くらいずっと欲しいなと思いながら、何かにつけ後回しになってきたのだろう。そういう忘れ物が僕にはけっこうある。聴いた気になっているだけでちゃんと聴いてない作品なんて、きっと数えきれないほどあるはずだ。そう思うと、何度も繰り返し聴いて、フレーズのひとつひとつまでが体に沁み着いている作品というのは貴重だし、やっぱり特別なのだと思う。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-20 07:18 | diary | Comments(0)

つづけること

 この家に引っ越してきてから、初めてアコースティック・ギターのケースを開けた。1年7ヶ月振り。弦は錆び気味で、ネックも反っている気がした。知ってるコードを押さえて、弦を指ではじくと、ポロンと音が鳴った。どこか懐かしい感覚だった。

 小学生のときに初めてギターを触ったときからちっとも上達しないが、これからも近くに置いておくのだと思う。そういうものが僕にはけっこうある。

 大切なのは今であり、これから先の未来であることに違いはないが、過ぎ去った時間や想い出があってこその今であり、未来でもある。それは人との付き合いもそうで、一度関係ができあがると、これからも良好な関係でいる為に、距離をはかったりする。でも、ずっと近くにはいる。そうやって切れずにつづいていく。ちょうどギターがずっとそばに置かれているように。

 昨日はクラレンス・クレモンズの命日だった。若い頃の演奏を聴いて、時の流れを感じた。その先にクラレンスの死はあり、彼のいない今へとつづいていた。でも、僕は今もクラレンスを身近に感じている。きっとこれからもそうだと思う。

 大切なのは今であり、これから先の未来だ。ザッツライト。でも、積み重ねた時間が消えることもない。ギターをつま弾きながら、クラレンスが吹くサックスを聴きながら、生きることがつづけることなんだなと思った。

 MIYAI
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by sandfish2007 | 2015-06-19 07:49 | diary | Comments(0)