今日は敬愛するジョン・レノンの誕生日。心からおめでとうございます。もし生きていたら76歳。どんなお爺ちゃんになっていたのだろう。
昨夜は、馴染みの店でビートルズのシングル盤をたくさん聴いた。初期から中期はA面にジョンがメイン・ヴォーカルをとっている曲が多く、実力も他の3人より上だったこともあり、ビートルズはジョン・レノンのグループだったという印象を受ける。ところが、後期になるとポールのヴォーカル曲がつづくようになる。他の3人が力をつけ、とりわけポールが想像以上に才能を爆発させた結果、ビートルズはジョンとポールの双頭バンドという様相を呈していく。シングル盤のA面B面をすべて時代順で聴いていくと、その変遷がよくわかった。
当時のジョンの立場になって考えてみよう。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな凄い曲を書いても、ポールの「ハロー・グッドバイ」にA面を取られてB面に。時代へのメッセージとして意気込んで書いた「レボリューション」も、A面はポールの「ヘイ・ジュード」でやっぱりB面に。切実な歌声が感動的な「ドント・レット・ミー・ダウン」も、ポールのルーツ回帰ナンバー「ゲット・バック」に押さえられB面。「カム・トゥゲザー」にいたっては、とうとうジョージの「サムシング」にまでA面を譲ることとなった。ジョンの曲が最後にA面になったのは、いろんな意味で軽量級な「バラード・オブ・ジョン・アンド・ヨーコ」というのもなんだか象徴的で、エースが中継ぎにまわったように思えなくもない。バンド内の力関係の変化というのは、なかなか微妙だ。
ただ、これはジョンの中でポップであることへの興味が薄れたからとも言える。そうなると、なかなかシングル向きの曲を書くというわけにもいかなかったのだろう。最後にジョンの曲がシングルの両面に収められたのは、「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」と「ベイビー・ユーアー・リッチマン」のカップリグ盤だった。昨夜、店のマスターが「愛の裏は金なんですね」と言っていて、なるほどなと思った。こういうシニカルなバランス感覚はジョン・レノンの大きな魅力だし、そういうことをシングル盤でさらりとやってしまうあたりが実にビートルズである。
すべてのシングル盤を聴き終えた頃、日付が変わり、ジョンの誕生日を迎えた。イベントのアフターとして、ビートルズがカバーした曲をオリジナル・ヴァージョンと聴き比べた。必然的に初期のレコードばかり、それもジョンのヴォーカルばかりになった。改めてビートルズはジョン・レノンのグループだったんだと思った。そして、ドス黒いシャウトからジョンのリズム&ブルースへの敬愛が感じられ、僕は少しほろりとしたのだった。