「トニー・ジョー・ホワイト」
ドラマーである友人から、
「今度、君の町でライブをやるから、
もしよかったら観に来ませんか」と、
そんなメールをもらったのは、
今から10年ほど前のことだ。
多少の誤差はあったとしても、
9年前とか、11年前とか、
確かそれくらいだったはずだ。
「どんなバンドをやってるの?」
僕が訊ねると、
「まぁ、ソウルとかニューオーリンズとか、そんな感じです」
とその友人は言った。僕は興味を惹かれ、
自転車をこいで、会場である店へと向かったのだ。
ウッド調のアーリー・アメリカンな雰囲気の店だった。
僕はビールを注文し、空いてる席に座った。
しばらくすると、バンドの演奏が始まった。
そのバンドは、僕が思っていたよりも、
ずっとタイトな演奏を聴かせた。
ビートにはグルーヴがあり、
右に揺れたり、左に揺れたりしながら、
うねるようにして、前へ前へと進んでいく。
黒人音楽への愛情がビシビシと伝わってきた。
友人は、手数の少ない、いいドラムを叩いた。
ベーシストは、なんとなくだけど、足が速そうだ。
そして、歌を歌っていたのは、
ベースボール・キャップをかぶった、
体格のいい、赤ら顔の男だった。
大きな体でステップを踏み、
熱のこもったシャウトする彼の姿は、
まるで長後のハウリン・ウルフのようだった。
どの曲のときだったかは、もう忘れたが、
彼がMCでこんなことを言っていたのを、覚えている。
「なぜこの曲を演奏するのかというと、
それは俺がフラレ男だから」。
今にして思うと、彼の芸風は、
このときから一貫していたことになる。
ライブは2部構成で、正味1時間くらいだったろうか。
終演後も、熱っぽい空気は余韻として残り、
店内はざわめいていた。
自分の住んでいる町で、
アメリカ南部の音楽を堪能できたことに、
僕は少し興奮していたのだろう。
居合わせた初対面の人達の輪に入り、
みんなで音楽の話で盛り上がった。
僕は大好きだったエルヴィス・プレスリーの話をした。
「エルヴィスも南部の出身でね、
よくライブでは、南部女が主人公の歌を歌ってたんだよ」。
その歌は「ポークサラダ・アニー」という、
ルイジアナ出身の南部男が書いた、
アニーという豪快な南部女の歌だった。
僕らがそんな話をしていた、ちょうどそのとき、
ひとりの男が僕らの前を通りすぎた。
あのベースボール・キャップをかぶった、
体格のいい、赤ら顔のボーカリストだった。
彼は突然立ち止まると、振り向き様に僕らの方を見た。
そして、はちきれんばかりの笑顔を浮かべながら、
「トニー・ジョー・ホワイトですね!」
と言ったのだ。
ザッツ・ライト。
この歌を書いたのは、生粋の南部男、
トニー・ジョー・ホワイト、その人に違いない。
ボーカリストは、それだけを言うと、
満足そうな笑みを浮かべたまま、
踵を返し、僕らの前を立ち去って行った。
それが、今夜の主人公、
二見潤と初めて言葉を交わした瞬間だった。
「こんにちは」とか「どうも」とか「よろしく」とかじゃなくて、
最初の言葉が「トニー・ジョー・ホワイト」。
まったくもって、普通じゃない。
でも、とりたてて問題もない。
大切なのは、きっかけだ。
僕らは一番最初に会ったときから、
お互いが共通して好きな歌の話をすることができた。
まったく寄り道もせずに。ひどくシンプルにだ。
そんなところが、僕はけっこう気に入っている。
美しくも芳醇なアメリカ南部の音楽が、
僕らの間に橋を架け、繋げてくれたのだから。
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「オー・ニール」
「トニー・ジョー・ホワイト」事件から数ヶ月後、
ドラマーである友人から、再びライブの誘いがあった。
今度は江ノ島にほど近いイベント・スペースで、
日曜日の明るい時間に演奏するという。
「ビールおごるからさ、遊びに来てよ」
その言葉につられ、僕はまた自転車をこいで、
会場へと向かったのだ。
扉を開けると、友人が「やぁ」と声をかけてきた。
バンドのメンバーは既に顔を揃えており、
窓際に置かれた椅子に座って、談笑していた。
その中には、足の速そうなベーシストもいたし、
もちろん、ベースボール・キャップをかぶった、
体格のいい、赤ら顔のボーカリストもいた。
僕が無言で会釈をすると、彼は無表情のまま小さく頷いた。
まだ言葉を交わすほど、お前とは親しくはないぞ。
そんな威圧の意味も含まれていたのかもしれない。
対バンは、僕らより大分歳上のオールディーズ・バンドで、
達者な演奏をしたが、正直、心躍るものではなかった。
ニール・セダカの「オー・キャロル」をやっていたので、
僕は退屈しのぎに、友人にウンチクをたれた。
「この曲はキャロル・キングのことを歌ってるんだよ」
「へぇー。そうなんだ」
「でね、そのアンサー・ソングをキャロル・キングも歌っててさ」
僕がそう言ったときだった。
斜め向かいに座っていた男が、不意に僕らの方に視線を向けた。
そう、あのベースボール・キャップをかぶった、
体格のいい、赤ら顔のボーカリストだった。
彼は僕と目が合うと、はちきれんばかりの笑顔を浮かべて
こう言った。
「オー・ニールですね!」
ザッツ・ライト。
キャロル・キングが歌ったアンサー・ソング、
それは「オー・ニール」に他ならない。
ボーカリストはそれだけを言うと、
満足そうに笑みを浮かべ、
そのまま窓の外に視線を移した。
それが、今夜の主人公、
二見潤と2度目に言葉を交わした瞬間だった。
「こんにちは」とか「この前はどうも」とか、
そういうのではなくて、「オー・ニールですね」。
まったく、普通じゃない。
でも、なにか問題があるわけでもない。
きっと、これが二見潤にとっての普通なのだ。
あの大きな体には、音楽への愛情がぱんぱんに詰まっている。
だから、口を開けば、まずは音楽の話をしてしまう。
溢れ出てしまう。押さえられないのだ。
それはそれで、素晴らしいことじゃないか。
いや、ひどく素晴らしいことに違いない。
ザッツ・ライト。
(2013.3.17 「Voices Inside 5周年」@Bar Cane'sにて朗読)