今日は夏の大祓え。
神社にて輪をくぐるのが本来の習わしだが、
僕らはその代わりに、
音楽を鳴らし、酒を呑む。
というのも、ここは神社ではなくて、
バーだからだ。
バーには普通くぐるような輪などない。
あるとすれば、
それは人と人とを繋ぐ輪だ。
まぁ、あるとすればだけど。
そんなわけで、バーで大祓えをすると、
祓うものも少しばかり違ってくる。
本来であれば、
この半年間の罪や穢れを祓うわけだが、
僕らが祓うのは、己のダメさだ。
というのも、バーに集まる人間というのは、
得てして、己のダメさに戸惑い、
甘んじ、打ちのめされながら、
諦め、そんな自分を受け入れて、
どうにか生きているからだ。
僕らにしてみれば、罪や穢れなど、
この際どうでもいい。
そんなものは、
酒を呑んで清めればいいだけのことだ。
いつから僕らは、
ダメ男と呼ばれるようになったのだろう?
自分をそう思うようになったのだろう?
わからない。
いつの間にか、気がついたら、
そういうことになっていたのだ。
夢を見ることを褒められた子供の頃。
夢を追いかけることが正しいと思えた若い頃。
好きなことをやりつづけるのが幸せだと信じ、
そのままやりつづけて大人になった人達。
「いつまで夢みたいなことを言ってるんだ」。
そう言われても、耳をかさない人達。
耳をかすのが怖いのだ。
彼らのことなら、僕もよく知っている。
でも、それの何が悪い?
何も悪くないさ。
だから卑屈になるなよ。
きっとこの先もうまくなんかいかないけど、
くたびれて、後悔するかもしれないけど、
でも、どうなるかなんて誰にもわからないし、
ひょっとしたら、
ちょっとはうまくいくかもしれないし、
後悔なんかしないかもしれない。
そんなのわかりゃしないよ。
だから、気にすんなよ。
やりたいことやれよ。
なんてことを言う奴は、めでたくダメ男だ。
ダメ男もダメ女も、人並みに歳をとる。
気がつけば、僕は43歳になっていた。
そして、作曲家は今月で50歳を迎えた。
50歳のダメ男、というわけだ。
ダメ男は、ときに「おめでたい」と形容される。
今宵は、バーでの大祓え。
くぐる輪はないけれど、
おめでたい人達で繋いだ輪があるならば、
それに越したことはないだろう。
孔子曰く、五十にして天命を知るという。
でも、そんなこと、
僕らはとうの昔から知っている。
作曲家の天命は、音楽を紡ぐこと。
それ以外にあるわけないじゃないか。
もしそれを疑うのなら、
彼の書いた歌を聴いてみればいい。
お願いすれば、きっと聴かせてくれるよ。
今夜のために書き下ろしてきた新曲を。
後できっと披露してくれるはずだから。
今宵、バーでの大祓え。
おめでたい輪を繋いで、己のダメさを祓う夜。
だから、本来の大祓えの趣旨とは少し、
いや、もしかすると、
大分違ってしまうかもしれない。
でも、それもまたしょうがないのだ。
なぜなら、僕らには僕らのやり方があるからだ。
つまり大切なのは、やりたいことをやる。
ザッツ・オール。
(2013.6.30 「ダメ男大祓えナイト」@Bar Cane'sにて朗読)