この家に引っ越してきてから、初めてアコースティック・ギターのケースを開けた。1年7ヶ月振り。弦は錆び気味で、ネックも反っている気がした。知ってるコードを押さえて、弦を指ではじくと、ポロンと音が鳴った。どこか懐かしい感覚だった。
小学生のときに初めてギターを触ったときからちっとも上達しないが、これからも近くに置いておくのだと思う。そういうものが僕にはけっこうある。
大切なのは今であり、これから先の未来であることに違いはないが、過ぎ去った時間や想い出があってこその今であり、未来でもある。それは人との付き合いもそうで、一度関係ができあがると、これからも良好な関係でいる為に、距離をはかったりする。でも、ずっと近くにはいる。そうやって切れずにつづいていく。ちょうどギターがずっとそばに置かれているように。
昨日はクラレンス・クレモンズの命日だった。若い頃の演奏を聴いて、時の流れを感じた。その先にクラレンスの死はあり、彼のいない今へとつづいていた。でも、僕は今もクラレンスを身近に感じている。きっとこれからもそうだと思う。
大切なのは今であり、これから先の未来だ。ザッツライト。でも、積み重ねた時間が消えることもない。ギターをつま弾きながら、クラレンスが吹くサックスを聴きながら、生きることがつづけることなんだなと思った。
MIYAI