人生を折り返したことは、この日記でも再三書いている。しかし、折り返してそろそろ4年が経とうとしているが、どうもしっくりこない。日々迷っている。
僕は中学生になったくらいから、自分が何を求め、どういう風になりたいのか、ある程度わかっていた節があり、そこに向かって逡巡しながらやってきた。うまくいったこともあれば、全然うまくいかなかったこともあったし、たいていの場合は予想もしないことに右往左往した。それでも、進むべき道は見えていたし、目標とする人達もいたから(その多くは偉大なミュージシャンだった)、そういう意味ではあまり悩まずに済んでいた気がする。そんな自分に意識的だったし、純粋でありつづけようとしてきた。
しかし、人生の折り返しを迎えたとき、僕は自分がどういう風になっていきたいのかが、うまくイメージできなくなっていた。目標としていたミュージシャン達は高齢化し、新曲よりも過去のヒット曲を求められている姿は、僕が目指す将来像とは大分隔離している気がした。僕は40代になり、自分がどんな60代、70代、80代になりたいのかを次第に考えるようになった。しかし、それをうまくイメージすることができなかった。
そんなことは考えなくたって、なるようになるし、なるようにしかならないというのは、僕もわかっている。しかし、これまでぼんやりとはいえ未来を見据えて生きてきたので、そうした目標がなくなってしまうと、今なにをすべきなのかも、なんだかよくわからなくなってしまうのだ。
そんなわけで、特にこの4年間、僕は自分の老後についても割と真剣に考えてきた。そこになりたい自分の姿を見つけられたら、その為にすべきことをやっていけると思ったからだ。それがレーベルなのか、物を書くことなのか、もっと違うことなのか。毎日のように考えつづけている。そのせいで、気がついたら肩が凝り、背中ががちがちになったのかもしれない。これはこれでけっこう辛い。
というわけで、考え過ぎもよくないんだなとわかってきた。確かになるようにしかならないのだし、それはそれでいいのだろう。人生は大きな川のようなものだ。ときには流されないとわからないことだってある。どんぶらどんぶらいこう。
MIYAI