今夜は「大人の文化祭」。
最後なのか。そうでないのか。
立ち退き問題で揺れる「ロケット・デリ」。
場所を移すのか。そうでないのか。
先のことはわからないが、
今夜、僕らはこうして集まった。
それはなぜかといえば、
おそらく、こういうことだろう。
信じてる友達が店を開けている。
僕らはその店の扉を開ける。
酒を頼む。料理を頼む。
話をする。おかしくて笑う。
友達が来る。また笑う。
場合によっては、大いに笑う。
夜が更けてゆき、僕らは帰る。
お金を払う。
店主がお金を受け取る。
それだけのこと。
でも、僕は知っている。
店が僕らに与えてくれたのは、お酒とか料理とか、
それ以上のものであるということを。
そして、僕らが店に与えたのも、
きっと、お金以上のものであったはずだということも。
そんなことを、足掛け10年ほど繰り返してきた。
今夜、ここに集まったみんなの顔も、
僕は何年も前から知っている。
つまり、僕らは一緒に、
同じことを、ここで繰り返してきたはずだ。
この店は、そんな僕らを繋いだ大切な想い出の場所。
だから、今夜もこうして、喜びや楽しみを求めて、
この店に集まってきたのだ。
始まりがあれば終わりもある。
もし本当に、今夜が最後の「大人の文化祭」なのだとしたら、
確かになにかが終わるのだろう。
でも、それでもいいと僕は思ってる。
だって、オール・シングス・マスト・パス。
すべては移り変わっていくものなのだから。
受け入れよう。
次に何かが始まると信じて、我慢しよう。
それがどこなのか?ここなのか?そこなのか?
そんなことは、たいした問題じゃない。
大切なのは、また始まるということだ。
そして、もし今夜が最後じゃないのだとしたら、
話は簡単だ。
僕らはこれまでと同じことを、
これからも繰り返していけばいいのだから。
とにかく、今夜は「大人の文化祭」。
歌あり、踊りあり、俳句あり。
目眩がしそうなほど盛りだくさんのプログラムが、
只今、進行中。
大切なのは、先のことじゃなくて、
僕らが今ここにいるということ。
目一杯楽しもう。
最高の瞬間見つけて、笑い合おう。
騒ぎを気にした死神が、
こっそり様子を覗きにくるくらいに。
今夜、僕らの「ロケット・デリ」で。
(2015.11.3 「大人の文化祭」@ロケット・デリにて朗読)