ジョージ・マーティンが亡くなり、悲しい朝を迎えている。享年90歳。自宅で息を引き取ったそうだ。大往生であるにせよ、淋しい気持ちは隠しようがない。
ジョージ・マーティンは、僕が名前を覚えた最初の音楽プロデューサーだ。そして、その彼はただの裏方ではなかった。自ら楽器を弾きこなし、オーケストラを指揮した。ずば抜けた音楽知識と手腕、そして愛すべきユーモアのセンスをもって、ビートルズの4人が投げかける奇想天外なアイディアを形にしていった。
「ジョージ、あなたならできるよ。僕にはわかるんだ」。そう言い残してスタジオを去ったジョン・レノン。託されたのは「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のテンポが異なるふたつのテイク。彼はスタッフと力を合わせ、見事にひとつのテイクに仕上げてみせた。
また、「イエスタデイ」の弦楽四重奏をアレンジしたときのことを、ポール・マッカートニーはこんな風に語っている。「彼は僕が見せたコードを使って、ピアノで音階を広げ、低いオクターヴのチェロや、高いオクターヴでの第一ヴァイオリンを付け加えてみせた。それは僕にとって、ストリングスがどのようにクァルテットとして響き合うのかを学んだ最初のレッスンとなった」。
ビートルズの4人にとって、ジョージ・マーティンは、初めて出会ったプロフェッショナルな音楽人だった。彼の助言により「プリーズ・プリーズ・ミー」は新たな曲として生まれ変わり、「イン・マイ・ライフ」ではクラシカルなピアノ・プレイを提供した。『サージェント・ペパーズ』に収録された数々の効果音には、彼がパロディ・レコードを作っていたときの経験が生かされている。そして、あの独特で気品のあるストリングス・アレンジ。ビートルズのレコードの中に、ジョージ・マーティンの功績を見つけるのはたやすい。
訃報が届いたとき、世界中の人達が彼を偲び、ビートルズの曲を流した。そんな人はメンバー4人以外にジョージ・マーティンしかいない。このことだけでも、彼がどれほどのことを成し遂げ、残していったかが窺い知れるだろう。
言うまでもなく、ジョージ・マーティンはビートルズとだけ仕事をしてきたわけではない。けれど、僕にとってのジョージ・マーティンは、どうしたってビートルズのプロデューサーだ。こうしてブログを書いている今も、心で鳴り響くのは、ジョージ・マーティンが彼のスタッフとビートルズのメンバーと力を合わせて生み出してきた名曲の数々だ。それは僕が知るどんなものよりもまぶしく光り輝いている。