「ルビーの指環」のコラムを書いたことをきっかけに、この曲の歌詞のほとんどが、喫茶店(あるいはそれに類する店)のワンシーンであることに、37年たってようやく気づいた。
窓ガラスは曇っている。季節は晩秋だろうか。外では冷たい風が吹いている。大人の男女が別れ話をするために、テーブルをはさんで座っている。彼女が問わず語りに別れの理由を話し、男はそれを聞きながら、自分が失ってしまったものの大きさを痛感している。
彼女は背中を丸め、うつむいたまま指環を抜き取る。それを見て男は言う。「俺に返すつもりなら、捨ててくれ」。彼女ははっとし、指環をバッグに仕舞う。
男の脳裏には、ある夏の日の出来事が浮かぶ。8月のまばゆい陽射しの中、彼女にプロポーズしたときのことを。彼女にどんな指環がほしいか訊ねると、彼女は少し考えてからこう答える。「そうね、誕生石ならルビーなの」。
テーブルをはさむふたり。男は言う。「俺はひとりが好きだから、気にしないでいいよ。気が変わらないうちに消えてくれ」。
店を出る彼女。残る男。テーブルには冷めた紅茶が置かれている。曇った窓ガラスの向こうでは、冷たい風が吹いている。彼女が襟を合わせて喧噪の中へと消えていくのを、男は見送る。
ここで場面は2年後に切り替わる。男は今も彼女のことが忘れられない。だから、彼女がよく着ていたベージュのコートを見かけると、その指にルビーのリングをさがしてしまう。今も彼女があの指環を捨てないでいるかもしれないと思って。
この歌詞を書いたのは松本隆。別に彼の最高傑作というわけではないだろう。それでも見事としか言いようがない。映画のワンシーンのようであり、実際にあった出来事のようでもある。今では昔話みたいなものだが、あの時代にはこの歌みたいに、少しばかりハードボイルドなロンティシズムというものが、割と身近にあったものだった。
37年もたってようやく気づくなんて。でも、これが音楽の深みというものなのだろう。